TASINI et al. vs THE NEW YORK TIMES et al.

連邦地方裁判所ニュ−・ヨ−ク州南部地区

93 Civ.8678 (SS)

原告

 JONATHAN TASINI, MARY KAY BLAKELY, 
   BARBARA GARSON, MARGOT MIFFLIN,
   SONIA JAFFE ROBBINS, および DAVID S.WHITFORD

被告

 THE NEW YORK TIMES CO., NEWSDAY INC.,
   TIME INC., THE ATLANTIC MONTHLY CO.,
   MEAD DATA CENTRAL CORP.,および
   UNIVERSITY MICROFILMS INC.

原告代理人

   BURSTEIN & BASS
   330 Madison Ave., 11th Floor
   New York, New York 10017
   212/297-3383
   Emily M. Bass

被告代理人

   DEBEVOISE & PLIMPTON
   875 Third Ave.
   New York, New York 10022
   212/909-6000
   Bruce P. Keller
   Lorin L. Reisner 
   Thomas H. Prochnow

意見および決定

本訴訟において当裁判所は、出版者はその定期刊行物に寄稿したフリ−ランサ−記者の許可を当初に得ないで、その定期刊行物の内容を 電子デ−タベ−スへ、さらにCD-ROM に収める権利があるかどうか、を決定することを求められている。

フリ−ランサ−のジャ−ナリストのグル−プから提出された訴状によれば、この行為は各記者がその個々の記事に対して有する著作権を侵害するものである。被告出版社および電子サ−ビス・プロバイダ−は、その答弁に1976年著作権法 17 U.S.C.§201(c)条の「集合著作物」に関する規定の「改訂版」特権を援用する。被告は、自分らが原告の個々の寄稿を不当に利用したのではなく、原告の記事が最初に出た新聞や雑誌の電子改訂版(electronic revisions) の一部としてこれらの記事を複製 (reproduce)することは許諾されていると主張する。

当裁判所は以下に述べる理由によって被告に同意し、被告勝訴の略式判決を与える。

背景

原告は、6名のフリ−ランサ−記者であって、 The New York Times, Newsday, Sports Illustratedを含むさまざまの大衆向け新聞雑誌に発行のため記事を売った。これら定期刊行物の最初の二つは、それぞれ被告 The New York Times Company および Newsday, Inc. として刊行されているが、それらは定期購読者および新聞スタンドで広く配布・販売されている日刊新聞である。被告 Time, Inc. (以下「Time」)の発行する Sports Illustrated は週刊誌で、スポ−ツ・ファンが特に関心のある記事や解説を特集するものである。その定期刊行物の紙面版(hard copy versions) を配布・販売するほか、被告出版社はその刊行物の内容を他の被告、すなわち University Microfilms Inc. (現行名 UMI Company ( 以下「 UMI」)および The MEAD Corporation ( 現行名 LEXIS/NEXIS(以下「MEAD」)に売り、総合電子デ−タベ−スに収納させている。[注 1] 

MEAD は NEXISを所有し経営している。それはオンラインの、電子的な、コンピュ−タによる検索システムであって、The New York Times、Newsday および Sports Illustrated を含むいくつかの主要な新聞、ニュ−ズレタ−、雑誌および通信サ−ビスからの記事が、購読者からの検索要求に応じてディスプレ−に表示しあるいはプリントする(原告の略式判決申立書証49 at 1464)。UMI は、原告がその修正訴状で確認した2つのCD-ROM製品を製造、頒布している。その製品の1つである「The New York Times ON-Disc」はNEXIS と大体同じような機能をもち、The New York Timesの各号に出た記事を内容とする。もう1つの CD-ROM 「General Pediodicals OnDisc」は、The New York TimesBook Review および Sunday Magazineの画像型の完全なコピーを提供する。

原告はその著作権侵害の請求に基づいて略式判決を申し立て、彼らの記事の電子的複製は著作権法により不当であると主張する。被告 TimesとNewsday も略式判決を申し立て、原告はこれらの出版社が原告の記事を電子サービス関係の被告に売ることを許諾した契約を結んだことを根拠とし、被告全員は、そのような契約がなくても、被告出版社は著作権法に基づき、自分らの出版物の改訂版を作る権利を正しく行使したのであるから、この訴訟は当然棄却すべきものであると主張する。                                       

A.当事者の関係

原告6名は、1990年から1993年までに発行のため売った合計 21 の記事の著作権を、被告が侵害したと主張する。これらの記事のうち原告 Tasini, Mifflin, Blakely の書いた 12点は The New York Times に掲載された。原告 Tasini, Garson, Whitford, Robbinsの書いた別の8点は、Newsday の特集記事になった。最後の記事は原告 Whitford による「Glory Amid Grief」と題する1点で、Sports Illustratedのある号に出た。原告全員はその記事をフリ−ランサ−として書いたものであって、被告出版社の従業員としてではなかった。

1. The New York Times

本訴訟が始まった当時、The New York Timesのフリ−ランサ−の仕事の依頼は、通常、新聞と寄稿ジャ−ナリストとの間の口頭の契約によって受託されていた。New York Times の編集者と選択されたフリ−ランサ−記者は、通常、特定の記事のトピックと長さ、提出期限、謝礼などの事項の合意を行っていた。(Keller申立書、証B7)。これらの交渉は、依頼された記事に対する権利に及ぶことはめったになかった。実際、 The New York Times と原告のいずれもとの間にそのような交渉はなかった。原告は全員、合意を書面にすることなく記事を提出し、The New York Timesが掲載した。[注 2] 同上。

2.Newsday

本訴訟の前には、Newsday はフリ−ランサ−の寄稿を求めるのにThe New York Timesと大体同じような手続きをしていた。フリ−ランサ−の仕事の依頼はたいてい、編集者と記者との間の話し合いによって引き受けられ、合意を書面にすることはなかった。(Keller申立書、証B2)。しかし、Newsday がフリ−ランサ−記者に、その寄稿に対して支払った小切手は、その記事の掲載後原告に送られた小切手を含み、次のような裏書がある。

  署名を要す。もしこの裏書が変更されれば小切手は無効とする。この小切手が受領されれば、次のものに対する全額の支 払いとする。すなわち、小切手の表面に記された資料の、Newsday の刊行するすべての版に最初に発表する権利(また は、すべての権利の合意があれば、すべての権利)およびその資料を電子ライブラリ−のアーカイブ(electronic  library archives) に含める権利。 (原告の略式判決申立書 証47)。

原告 Tasini は、争われている Newsdayへの寄稿2点に対する支払いの小切手を現金化する前に、この注意書きを消した。Newsday の他の6点の記事を書いた原告は、この注意書きをそのままにして現金化した。

3.Sports Illustrated

原告 Whitford だけが Sports Illustrated に記事を提供して公表した。Timeとwhitfordとの関係は、フリ−ランサ−記者と NewsdayまたはThe New York Timesとの間での型通りの契約の仕方より、明確にもっと正式なものであった。Whitfordと Sports Illustrated の結んだ契約は書面にされ、買取り記事の内容と長さ、期限、雑誌の支払う謝礼を特記していた。その契約はまた、Sports Illustratedに「次の権利」を与えていた:

(a) その記事を本雑誌に最初に発表する排他的権利:

(b) その記事を他の刊行物に、翻訳、ダイジェスト、要約またはその他の形を問わず、再発行するライセンスを与える 非排他的権利。但し、本雑誌はそのような再発行によって受ける全収益の50パ−セント(50%)を貴殿に支払うこと:

(c) その記事またはその一部を、本雑誌中または The Time Inc. Magazine Company 、その親会社、子会社または関 連会社の刊行するその他の刊行物に再掲載する権利。但しその記事が再掲載された刊行物につき通常支払われているレー トで貴殿に支払うこと。 (Keller申立書 証C7)。

原告 Whitford は、この文言で Time に彼の記事を電子化する権利を与える意図はなかったと主張する。

B. 最新技術による再発行

1980年初期以来、被告出版社は自分の定期刊行物の内容を電子サービス関係の被告に販売することに応じる一連の合意に至った。NEXISは1982年以来、 Sports Illustraltedは1983年以来、 The New York Timesは1988年以来、 Newsdayに載った記事を収納した。(Keller申立書 証B5 at paras.3,4,8)。UMI は1992年以来「The New York Times OnDisc」を頒布し、 The New York Times Magazine と Book Reviewは 1990 年以来、イメージベースのCD-ROMのサービスを提供した。(Keller申立書 証B6 at paras.3,8)。

1. NEXIS

被告出版社は、その定期刊行物の各日刊・週刊版に載った記事すべての全文をNEXIS に引き渡し、または電送している。出版社は、その定期刊行物の紙面版制作過程で用いるコンピュ−タ・テキスト・ファイルの全文を NEXIS に提供する。これらのファイルに付けられたペ−ジのレイアウトのコ−ド化された命令によって、出版社の従業員の植字工(typesetter) が「メカニカル(mechanicals) 」-- それは刊行の際に現れる全ペ−ジに似ているが -- を作ることができ、そのコピ−が大量生産のため印刷施設に転送される。NEXIS は電子ファイルを使って「メカニカル」を作ったり、または定期刊行物の各号の物理的レイアウトの書き替え、などはしない。写真、広告や新聞のコラムの体裁などはなくなっている。NEXIS はその代わりに、電子ファイルを用いて各記事の内容をオンラインにインプットし、それに著者名、各記事の載った刊行物とペ−ジを加える。The New York Timesおよび Newsdayに載った記事は、それが最初に印刷されて出てから 24 時間以内に利用でき、 Sports
Illustrated の各号からの記事は、最初の紙面版の発行から 45 日以内にオンライン上で利用できる。  

顧客は、NEXIS の本体コンピュ−タ(mainframe computers)にアクセス可能とする遠距離通信パッケ−ジを使って NEXISに入る。一旦オンラインでつながると、顧客は特定の出版物または出版物群からの記事より成る「ライブラリ−」に入る。顧客はそこで、システムがいくつかの「該当物(hits)」を作り出す基となる希望の検索用語とコネクタ−(connectors) をインプットして、「ブ−ル検索」を行うことができる。これらの「hits」、すなわち、選択されたキーワードに対応するライブラリ−中の記事は、個々に、または一覧(citation)表で見ることができる。 一覧表とは、各記事を、それが載った刊行物・語数、または著者別に示すものである。全文を見るために特定の記事が選択されると、一覧表内で表示されたのと同じ基本情報を与える見出しをつけて、その記事の全内容がスクリ−ンに表示される。記事は個別的に見れるけれども、ユ−ザ−は特定の日の、特定の定期刊行物に出た記事の全部 -- そしてその記事だけを -- 出せという検索のためのインプットをすることもできる。

2. The New York Times OnDisc

本文だけのCD-ROM製品「The New York Times OnDisc 」は、The New York Timesから NEXIS に提供された同じデ−タから作成される。実際、各月末に、The New York Times、NEXIS 、UMI 間の三者協定に従って、NEXIS はUMI にこの情報を含む磁気テ−プを提供する。そうするとUMI は、このテ−プの内容を CD-ROM ディスクに移し、含まれた内容をコ−ド化してブ−ル検索を容易にする。

驚くほどのことはないが、2つのシステムが同じデ−タを用いるとすれば、テキスト型の CD-ROMは NExISと大して変わらない働きをする。ユ−ザ−はシステムにすべての対応する記事にアクセスせよと命ずる検索用語を インプットする。これらの記事は、著者、その記事が載ったThe New York Timesの号の日付とペ−ジを示す見出しをつけて表示される。 NEXIS の場合と同様に、見るために選択された記事はそれだけが現れる。写真も、本文の見出しもコラムもない。その上検索は典型的に、 違った日に刊行された記事も取り出す。もっとも、The New York Timesの1個の号を構成する記事全部を取り出す検索をすることもできる。

3. General Pediodicals On Disc

イメージベースのCD-ROM 製品「General Pediodicals On Disc 」は、The New York Timesの全号を入れているのではなく、Sunday Magazine とBook Review だけである。それは多数のその他の定期刊行物も入れているが、そのいずれも本訴訟に関係がない。 イメージベース・システムは、現在争われているその他の電子化サービスとは、それがデジタル・スキャニング(digital scanning) によって作られるという点で異なっている。記事は個別にシステムにインプットされるのではなく、Sunday Magazine と Book Reviewの全体が写真にとられ、これらの定期刊行物の完全な画像ができる。記事は印刷の場合と全く同様の形で現れ、 完全に写真、見出し、広告もついている。

「General Pediodicals OnDisc」はブ−ル検索を用いない。イメージ型のディスクがテキスト型のディスクと一緒に売られていて、 テキスト型ディスクは検索でき、記事の概要を提供する。これらの概要を検索してユ−ザ−は、自分に興味のある記事を知ることができ る。それからユ−ザ−はそのような記事を取り出すためにイメージ型システムに戻ることができる。このディスク間の相互作用に 基づいて、原告はイメージ型CD-ROMは一部テキスト、一部イメジ型CD-ROMと呼んだ方がよいと提案する。    

C. 当事者の争い

当事者全員は、被告の刊行物が 1976 年著作権法にいう「集合著作物」を構成することを認めている。集合著作物とは、 「それ自体別個で独立の著作物を構成するいくつかの部分著作物(contributions)が、集められて1個の集合体をなした」ものである。 17 U.S.C. §101 。そのような著作物に対する権利は U.S.C. §201(c)に定められている:

集合著作物の各個別の部分著作物の著作権は、集合著作物全体の著作権とは異なり、原始的に部分著作物の著作者に帰属する。 著作権または著作権に基づく権利の明示的移転のない場合、集合著作物の著作権者は、その集合著作物の改訂版および同一の叢書中の その後の集合著作物の一部として、その集合著作物を複製し、頒布する特権のみを取得したものと推定される。

原告は、被告出版社が原告の記事を売り、電子サービス関係の被告に複製させることによって、この規定に基づく狭い「特権」 を逸脱したと主張する。とくに原告は、争われている新商品が被告出版社の集合著作物を改訂するものではなく、 原告の個々の記事から不当な利益を得るものであると訴える。[注 3]

被告 Time と NEXISは、自分らは201(c)条の末尾に定められた特権に限定されない、何故なら原告は彼らの記事に対する電子化の 権利を「明示的に移転した」からであると主張する。NEXIS は同出版社に原告の記事を「電子ライブラリ−アーカイブ」に含めることを許す小切手の断り書(legends)を根拠とする。Timeは原告 Whitford との書面契約で確保された「最初に刊行する権利」を根拠とする。原告は、これらの規定のいずれも現在争われているような 電子的複製を予定していないと主張する。

権利の明示的移転がないとしても、被告全員は原告の記事を電子的に複製する権利は著作権法 201(c) 条で許されていると主張する。被告は、争われている新商品は、「[被告出版社の]集合著作物の改訂版」を発生させるのみで あり、それ故原告の個々の記事の権利を奪うことにならないと主張する。17 U.S.C. §201(c)。原告は、 201(c) 条は集合著作物の 電子的改訂版を許すことを意図するものではなく、ともかく現在争われている商品では、そのような改訂版を作り出すことはできないと 反論する。

検討

1. 序論

略式判決が要求されるのは、「重要事実について真正な争点がなく、… 申立当事者が法律上当然勝訴判決を得る権利がある場合である 」連邦民事訴訟手続規則 56(c)。

「申立当事者は『申立の根拠を地方裁判所に知らせ』『重要事実に関する真正な争点の不存在を証明すると信ずる』事項を確証する 最初の責任を負う」。Liebovitz v. Paramount Pictures Corp.,1996 WL 733015, *(S.D.N.Y.Dec.18,1996) (Celotex Corp. v. Catrett, 477 U.S. 317, 323(1986) を引用)。

一旦申立人がその最初の責任を充足すれば、被申立人が「審理すべき真正な争点の存在を証明する特定の事実」を示さなければ ならない。連邦民事訴訟手続規則56(e)。

両当事者の相反する主張を評価して、裁判所は事実の不明確性を彼申立人有利に解決しなければならない。参照、McNeil v. Aguilos, 831 F.Supp.1079,1082(S.D.N.Y.1993) 。「その証拠が陪審にかけることを要するに足る不一致を示しているか、 それとも一方的で、一方当事者を法律上当然勝訴させるほどであるか」を裁判所が最終的に決定しなければならないのは、 この枠内においてである。Anderson v. Liberty Lobby, Inc., 477 U.S.242, 251-52(1986)。

本件におけるように、略式判決を求める交差申立がある場合にも「基準は略式判決を求める個々の申立の基準と同一であって、 裁判所はそれぞれの申立を他と独立して考察しなければならない。… 単に両当事者が交差申立をし、従って事実の重要な争点が存在し ないと黙示的に合意したからといって、それで裁判所がその合意に賛成し、一方または他方勝訴の判決を法律上当然下さなければ ならないということにはならない」。Aviall,Inc. v.Ryder System, Inc., 913 F.Supp. 826,828 (S.D.N.Y.1996)(Heublein, Inc. v. United States, 996 F.2d 1455, 1461 (2d Cir.1993) を引用),aff'd, 110 F.3d 892(2d Cir. 1997) 。

U. 契約による権利の移転の主張

被告出版社の2社、Newsday と Time は、原告がその記事の電子化権を「明示的に移転した」のだから、それ故、電子的デ−タベ−ス がこれらの被告の集合著作物の改訂版を作り出すかどうかを決定する必要はない、と主張する。当裁判所は賛成しない。

A. Newsday

1976年法 204(a) 条によれば、「著作権の所有権の移転は … 譲渡証書または移転の覚え書が文書によって作成され、かつ譲渡された 権利の所有者またはその所有者の正当な授権代理人によって署名されていない限り、無効とする。」17 U.S.C. §204(a)。「著作権譲渡の覚え書となる書面は、『マグナ・カルタのようなものである必要はなく、1行だけの仮の書面でも よい。』しかしながら、著作権を譲渡しようとする書面の文言は、1行だけの仮の書面であっても、明白でなければならない。」 Papa’s June Music, Inc. v. McLean, 921 F. Supp. 1154, 1158-1159 (S.D.N.Y.1996) (Effects Associates, Inc.v.Cohen, 908 F.2d 555, 557(9th Cir.1990)を引用) 

Newsday が電子化する権利の根拠として指摘する唯一の書面は、同社がその記事の支払いのために原告に振出した小切手の裏面に現れて いる。特に同出版社は、Newsdayが「[原告の記事を]電子ライブラリ−アーカイブに含める権利」を有すると定めた文言を根拠としている。 しかしながら、Newsday が原告の記事を NEXISに送った時までには、原告はこの小切手を受取ってもおらず、現金化もしていなかった。だから原告は、 小切手の断り書で行われたことになるかもしれない権利の譲渡が、主張されている被告の侵害を免責するには、発生したとしても 遅すぎたと主張した。参照、 R & R´s Recreation Products, Inc. v. Joan Cook Inc., 1992 WL 88171,* 4 (S.D.N.Y.1992) (R & R が犬と鼠の著作権を DMV へ譲渡したことは、譲渡前に発生した侵害に対して R & Rが出訴することを妨げない。)

Newsday はこれに反論して、移転の「覚え書」は以前の口頭の合意を有効とするのに役立つことができると主張する。参照、Eden Toys, Inc. v. Florelee Undergarment Co.,Inc.,697 F.2d 27, 36 (2d Cir.1982) (「『移転の覚え書』はライセンスが始まった時に作られる必要はない。その要件は、著作権の所有者がその後合意を確認する書面を 作成すれば充足される。):次も参照、Imperial Residential Design, Inc. v. Palms DevelopmentGroup, Inc., 70 F.3d 96, 99(11th Cir. 1995) (以前の口頭の合意を確認する書面を著作権者が作成すれば、移転は初めに戻って有効とする。) Newsdayは法律については間違っていないが、事実における根拠がない。

Newsday は、原告の記事の電子化する権利に関する先約の証拠がないことを認める。(被告Newsday の答弁書 Pl.s´Rule 3(g) stmt No. 25 (「被告答弁書:小切手の裏面の断り書以外には … 現在争われている記事に関して、 原告のいずれかと Newsdayとの間に書面または口頭の明示的合意の証拠はない。」)。) Newsday の主張はせいぜい小切手の断り書が、原告の記事の電子化する権利の移転があったという「その了解」を確認するだけである。 (被告のメモ補遺、略式判決申立書 at 14 n.2。)これでは十分ではない。その記録は、Newsday の「了解」と称するものが、原告もまた了解したと結論する根拠を
明らかにしていない。原告は全員その記事のオンラインでの使用を許す意図は決してなかったという。だから Newsdayは今、小切手の断り書を根拠として、原告の記事の電子化する権利に関して暗黙の合意があるとして、 遡及的効果を与えることはできない。

その上、小切手の断り書そのものも不明確で、原告の記事の電子化権の明示的移転を表すものとは解し得ない。参照、Playboy Enterprises, Inc. v. Dumas, 53 F.3d 549, 564 (2d Cir.) (「すべての権利、権原および権益の譲渡 … 」を規定する小切手の 断り書は不明確で、ある絵画の著作権を有効に移転するものではないと認定)、cert. denied, 116 S.Ct. 567 (1995);次も参照、Papa´s June, 921 F.Supp. at 1159 (「ロィヤリティの小切手も、それに添付されたロィヤリティの明細書も、著作権の所有権の移転について述べていない。」)Museum Boutique International, Ltd. v. Picasso, 880 F.Supp. 153,162 n.11(S.D.N.Y.1995) (「ピカソ・ロィヤリティ」以外説明書きを含んでいないMBI の振出した小切手は、口頭の合意ありと主張されているが、 控え目にいっても、その確信的証拠ではない」)。原告は「電子ライブラリ−アーカイブ」のもっとも合理的解釈でも、NEXIS は含まれないと論ずるが、納得できる。原告は、電子ライブラリ−アーカイブと商業的デ−タベ−スとは違ったタイプの資料を含み、 目的も異なるという意見をもつ専門家の宣誓供述書を提出している。(原告の略式判決申立書 証17。)次と比較、 American Geophysical Union v.Texaco Inc., 60 F.3d 913,919,921 (2d Cir,1995)(科学雑誌の記事の写真コピ−は、そのコピ−が研究者のファイルにその後 の参照用に保存され、「直接(direct or immediate)の商業的利益」のために用いられない場合、「アーカイブ」と呼ばれる)。 Newsday はそれ自身の「電子ライブラリ−アーカイブ」を維持し、それはコンピュ−タ化された社内の蓄積システムで、 商業用には用いられないことを、原告はまた述べ、Newsdayも認める。 (原告の略式判決申立書 証35 at 26。)

Newsday は小切手の断り書の中で、そのような「アーカイブ」に言及しているだけであるということは、少なくとももっともらしく、 かつ原告がそう結論するのも無理ではなかったであろう。とにかく断り書は、権利がNEXIS にまで及ぶと暗黙裡に示していると原告が理解し、理解すべきであったという証拠はない。
  
要するに、Newsday の小切手の断り書が、原告の記事に対するいかなる重要な電子化する権利をも、明確かつ適時に移転をしたと 判断する根拠はない。

B. Sports Illustrated

被告 Time は略式判決申立の根拠として、Whitfordとの契約の(10)条を援用する。この規定に従って、Sports Illustrated は Whitford の記事を「最初に刊行する」権利を得た。

この文言は「メディアに基づく制限」を含まないと論じて、Timeは「最初の出版」権が NEXIS にも及ぶと解釈しなければならないと主張する。[注 4] 参照、Bartsch v.Metro-Goldwyn-Mayer, Inc., 391 F.2d 150, 154-55(2d Cir)(映画の「上映」権はテレビ上の映画の上映を含むと判示)、 cert.denied, 393 U.S.826(1968);次も参照、Bourne v. Walt Disney Co.,68 F.3d 621,629(2d Cir.1995)( 「映画」権はビデオカセット権を「明確に排除」するものではない)、cert.denied, 116 S.Ct.1890(1996);L.C.Page & Co.v.Fox Film Corp., 83 F.2d 196,199(2d Cir.1936)(「排他的映画権」は無声映画および 「ト−キ−」を含む);Rooney v.Columbia Pictures Indus., Inc., 538 F.Supp. 211
(S.D.N.Y.)(「現在または将来の方法または手段による」上映はビデオカセット権を含んでいた)、 aff´d, 714 F.2d 117 (2d Cir.1982), cert.denied, 460 U.S.1084(1983)。

TimeがBartsch 系統の判例を根拠としたことは誤っている。Bartsch およびこれに倣う判例は、契約の文言が十分広くて新しい 商品の用途をカバ−する場合には、「例外を設けて交渉する権利は許諾者側に当然帰属する」という命題を表している。Bartsch, 391 F.2d at 155 。しかしながら、これらの判例のいずれも「最初の出版権」のような特定の時間に関する制限を課す契約 (目下係争中の契約のような)に関するものではない。「最初に」記事を発表する権利を、その記事をいかなる、またはすべての メディアに最初に発表する権利に拡大することは合理的ではない。次と比較、Harper & Row, Publishers,Inc. v. Nation Enterprises, 471 U.S.539,564(1985)(「最初に発表する権利は、発表するかどうかの選択権ば かりでなく、その著作物を何時、何処で、どのような形で発表するかの選択権をも含む。」)(傍点筆者)Whitfordの記事は「最初に」 印刷して発表されたのだから、約45 日後にその記事が電子的に再発表されたのは「最初」ではあり得なかった。

V. 1976年著作権法下の集合著作物

当裁判所は、原告のいずれもがその記事の電子化権を明示的に移転したと認定できないから、本件における無数の主張と大量の記録は、 電子化サービス関係の被告が被告出版社の集合著作物について、著作権法201(c)条で許されている「改訂版」を作り出したかどうかに 帰着する。その争点は狭いけれども、その解決は簡単ではない。201(c)条の文言を解釈する判例はほとんどなく、その規定と現代の 電子化商品との関係を明らかにする先例も全くない。さらに問題を複雑にすることには、1976年著作権法はさまざまの利益団体および 業種からの無数の専門家が参入した、独特かつ長びいた過程を経て作られたものである。参照 Barbara Ringer, First Thoughts On The Copyright Act Of 1976, 22 N.Y.L.Sch. L.Rev.477 (1977)。その結果、関係立法過程は理解不能で評判が悪い。一般的には次を参照、Jessica D. Litman, Copyright,Compromise,and Legislative History, 72 Cornell L.Rev.857(1987) 。

数々の挑戦にもかかわらず、原則をもって201(c)条を分析する方法を可能にする考察点がいくつかある。もっとも大切なことは、 同規定は孤立して理解することができないもので、同法の他の規定とともに考察されなければならないということである。

A. 103(b)条下の集合著作物と二次的著作物

「集合著作物および二次的著作物は両方ともそれ自体著作権を与えられ得る既存の著作権に基づいている。」1 M.Nimmer & D.Nimmer, Nimmer on Copyright§3.02.at 3-8(1996 ed.)。二次的著作物は1個または複数のそのような著作物を 「変形」して、新しい創作物にしたものである。参照、17 U.S.C. §101 。これに反し、集合著作物は無数のオリジナルな部分著作物から成り、それらは変更を受けず、集められて1個の オリジナルな集合体になったものである。同上。いずれの場合も、著作権法は大きい方の著作物は -- それは著作権保護を受ける権利があるけれども -- それ自身保護されている独立のオリジナルな部分著作物より成るという事実を 説明している。

1976年著作権法は103(b)条において、二次的著作物および集合著作物に表れている著作権の競合を取り上げる。この規定に従って;

編集著作物または二次的著作物の著作権は、その著作物の著作権者が寄与した資料にのみ及び、それはその著作物に用いられた 既存の資料とは区別され、既存の資料の排他的権利を含まない。そのような著作物の著作権は既存の資料の著作権保護の範囲、期間、 帰属または存在より独立し、それらに影響せず、またはそれらを拡大しない。[注 5] 17 U.S.C. §103(b)。

103(b)条は1976年法下の新制度ではなく、1909年法の7条下で「普通誤解されている」点を単に明確にしようとしたのである。 [注 6] H.R.Report No.94- 1476, at 57(1976) 。特定的に、「『新版』の著作権は後の著作者が加えた資料を カバ−するだけであって、既存資料の著作権または公有の地位に、どのようにも影響するものではない」同上。

「新版」および「既存資料」の著作権保護に関する誤解は、主として二次的著作物に関して生じ、第2巡回区控訴裁判所の Friendly 判事がもっとも顕著に支持する「新財産権」の考え方より発展した。参照、Rohauer v. Killiam Shows, Inc., 551 F.2d 484(2d Cir.)(映画製作者は、基礎となったスト−リ−の最初の使用を許した作家が、その製作者に再製作権を与える前に死亡していても、そのスト−リ−の権利を保持すると判示)、 cert.denied, 431 U.S.949(1977)。この説によると、「もとになる資料を使用する有効なライセンスに従って、一旦二次的著作物が作られると、二次的著作物全体について新しい財産権が生まれ、その結果その後ライセンスが終わっても二次的著作物の所有者は、それにもかかわらず、もとになる著作物の資料を、二次的著作物に含まれているままで使用し続けることができる。」Nimmer, §3.07[A][1], at 3-34.9。Nimmer教授を含む無数の権威者は、Rohauer 事件における理論構成を攻撃し、「新財産権」の考え方を嘲笑して、「著作権法の明示的規定によっても、二次的著作物に対して得られた保護の範囲に関する論理的根拠によっても正当化されない」といった。同上。

Rohauer 事件の判例以前には、「新財産権」の考え方に反して、第2巡回区控訴裁判所は -- 二次的著作物の有効な著作権者による -- 保護を受けている既存資料の無断再使用を根拠とするいくつかの侵害請求を支持した。 たとえば次を参照、Gilliam v. American  Broadcasting Companies, Inc., 538 F.2d 14(2d Cir.1976); G.Ricordi & Co. v.   Paramount Pictures Inc., 189 F.2d 469(2d Cir.)(宣言的判決訴訟において、もとになる著作物の著作者の許可を 得て作られたオペラの映画版を、原告が製作することを禁じた)cert.denied., 342 U.S.849(1951);次も参照、Russell v. Price, 612 F.2d 1123, 1128 (9th Cir.1979)(「映画「ピグマリオン」の上映は、必然的にショウの戯曲の一部上映を伴うのであって、その戯曲にはまだ著作権がある のであるから、本件原告は被告が原告の許可なく映画を貸出して上映させることを防止できる。」) cert.denied, 446 U.S.952 (1980)。たとえば Gilliam事件において、裁判所は差止命令を出して原告を勝たせたが、原告は英国の 喜劇劇団のメンバ−で、彼らはいくつかの台本の自分らの著作権を BBCが侵害したと主張していた。原告はBBC にその台本に基づくテレビ番組の放映を許していたが、BBC がその後被告であるアメリカのテレビ・ネットワ−クにその番組を売り、後者がその番組を編集して合衆国で放映するに至って異議を となえた。被告が2度目にその編集版を放映することを禁じる判決の理由として、第2巡回区控訴裁判所は1909年法7条の下で、「録画 された番組の著作権をBBC が所有することは、基礎になる台本の著作権の範囲または所有権に影響を及ぼすものではない」と論じた。Gilliam, 538 F.2d at 20 。従って、原告の同意のないその台本の使用は「[その台本に基づく]二次的著作物の所有者の許可があっても」 侵害になるであろう。同上。

Rohauer 事件を退け、Gilliam 事件における第2巡回区控訴裁判所の前の考え方に賛成する第9巡回区控訴裁判所の判断を支持して 最高裁判所は、「新財産権」論争を最終的に、しかもきっぱりと解決した。参照、Stewart v.Abend, 495 U.S.207(1990)。Abend 事件において、ある小説の著作者が著作権期間更新の権利を、その小説の映画版の所有者に譲渡 する同意をしたが、更新期間開始前に死亡した。譲渡は発生しなかったのであるから最高裁判所は、被告が既存著作物の更新期間中 映画の配給を続けたことによって、小説の後継所有者の著作権を侵害したと判断した。

その結論に達するに当たって、Abend 判決を下した裁判所は、Rohauer 事件を根拠とする被告の見解を退けた。それは「『新しい』 すなわち二次的著作物の創造は既存著作物の権利の所有者が持っているかもしれない侵害に対する出訴権を消失させる… 」という ものであった。同上 at 222 。Nimmerを引用して最高裁判所は、そのような考え方は1909年法の7条および1976年法の103(b)条の文言に反すると結論した。 それらの規定はいずれも同じ基本原則を宣言する。

二次的著作者の加えた二次的著作物の側面(aspects)はその著作者の財産であるが、既存の著作物から得られた要素は、依然として 既存著作物の所有者の許諾に基づくものである。既存著作物が公有ではない限り、もしその著作物を用いる者が既存著作物使用のために 有効な許諾または譲渡を得ていなければ、その使用は侵害となる。既存著作物が二次的著作物と分離できない程からみ合っているか どうかは関係がない。

Abend, 495 U.S.at 223-24( 引用判例省略)。だから 1976 年法 103(b) 条は、 -- それに先立つ 1909 年法7条と同様に -- 新財産権理論を排斥するものである。同上;また次も参照、Nimmer, §3.07,at 3-34.9 n.3 ( 103(b) 条を「新財産権理論とは相入れない」という)。103(b)条の下では、保護されている既存資料を二次的 著作物または集合著作物の作者が無断使用すれば、その既存資料の著作権を侵害することになる。

B. 201(c)条下の被告の「特権」

201(c)条の第1文は -- 「集合著作物のそれぞれ別個の部分著作物の著作権は、集合著作物全体の著作権とは別個であって、原始的に 部分著作物の著作者に帰属する」とあるが -- それは基本的に103(b)条の内容の反復である。もし同規定がこの第1文だけで終わっているならば、原告は本訴訟において勝つ であろう。その集合著作物を構成する記事に「新財産権」がないので、被告出版社は彼ら自身の定期刊行物の新版においても、原告の 個々の部分著作物を自由に再利用することはできないであろう。参照、Abend,495 U.S.207;次も参照、Gilliam, 538 F.2d 14。ところが第2文において201(c)条は103(b)条で確立した基本線を拡張して、集合著作物の 作者に「その特定の集合著作物、その集合著作物の改訂版および同一の双書の後の集合著作物の一部として、その部分著作物を複製頒布 する特権のみを」与えている。17 U.S.C. §201(c)。そこで本件における決定的争点は、この「特権」の正確な範囲である。

1. 移転できる権利としての特権

原告は201(c)条が「集合著作物の著作権の所有者」に与える「特権」を、狭く限定された非排他的ライセンスになぞらえる。著作権法 下の譲渡、または排他的ライセンス、またはその他のたいていの移転とは異なり、そのように限定された特権のは移転できない。参照、 17 U.S.C. §101 (「著作権の移転」を定義する)。被告出版社は集合著作物の著作権を持っているのであるから、原告は電子化関係の 被告が係争中の定期刊行物の改訂版を作った場合であっても、 -- それが被告出版社の許すものであったとしても、 -- 侵害を犯していると論じている。(原告の略式判決申立書 at 16, n.15; 原告の被告略式判決交差申立反対覚え書 at 19-23 )。

原告は201(c)条を201(d)条と並べて、「特権」という用語を自己流に解する。後者の第1節は「著作権の所有権は、全部または 一部を、譲渡または法律の適用により移転することができる …」と規定する。17 U.S.C. §201(d)(1) 。201(d)(2) 条によれば、

著作権に含まれる排他的権利はいずれもl06 条に特記する権利の支分権を含み、(1)項の規定によって移転することができ、別個に 所有することができる。特定の排他的権利の所有者は、その権利の及ぶ限り、本法によって著作権者に与えられる一切の保護および 救済を受ける権利を有する。

原告の見解によれば、201(d)(2) 条が「権利」の移転を定めていることは、同法前条に定められている「特権」は移転できないとの 意味であるとしか解し得ない。この考え方は201(c)条と201(d)条との間の関係を歪めるものである。

201(d)(2) 条は、「権利」のみでなく、権利の「支分権」についても述べている。権利の支分権についてできることは、 前条201(d)(1)が作り出したものであって、同条は譲渡または「法の適用」のいずれかによって、著作権の「その全部または一部」の 移転を許している。「法の適用」によって著作権の一部の移転ができることをこのように認めたことは、出版者に列挙された特権を 与えている同法前条、すなわち201(c)条において、まさにその様な移転が行われているという事実に由来する。換言すれば、この3つの 規定は連合して作用する。201(c)条は原告の著作権の「一部」を被告に移転する ---それは201(d) (2) 条下で許される行使である -- 故に 201(d)(2)条の下で、被告は彼らが得た権利の支分権に対する完全な権利を 持つことになる。

201(c)条と201(d)条を歴史的に見ると、原告の主張の弱点はいっそう明らかになる。1976年法はその主要な部分において、著作権 不可分の概念の否認に等しいものであった。それは著作権を構成するさまざまな権利が、部分的に譲渡出来ない、すなわち、 細分できないという原則であった。参照、Nimmer, §10.01[A], at 10-5 。この以前の体制の下で個々の著作者は、集合著作物に入っている部分著作物のすべての権利を、その著作物の 出版者または公衆のいずれかに、知らずに、引き渡してしまう危険があった。同上。1976年法の201(c)条および201(d)条の下でその おそれはなくなった。著作者はその権利の小「支分権」を、-- 201(c) 条の適用により、または明示的移転によって -- 集合著作物の著作者に引き渡したからといって、もはや自分の記事のすべての 権利を失う危険はなくなったのである。

不可分性の「不公正」を避けるという201(c)条の目的は、その「特権」を非排他的ライセンスと同一視することによって、さらに 助長されはしないであろう。H.R.Report No.94- 1476, at 122(1976)。既述のように連邦議会は、出版者が自分の集合著作物の諸版を作るために、外部者の助力を得ることが できることに関連する問題が認められているのに、それに答えることなく、むしろ集合著作物の出版者が個々の記事の一切の権利を奪う かもしれないというおそれに対応していた。出版者がその許された改訂版や複製を作り、頒布する努力を、連邦議会が制限することは、 全くその目的の達成を進めはしないであろう。そのような方法では、個々の部分著作物の不正利用を防ぐことにはならず、ただ集合 著作物が公衆に売り出され、頒布されることを確実にするという、それと競合する目標の達成を妨げることになるだけであろう。 参照、H.R.Rep.No.94-1476, at 122(1976)( 出版者に与えられる201(c)条の特権を、著作者に有利な基本的推定の「本質的対応物」だと呼ぶ)。

「特権」という語は、集合著作物の作者が集合著作物を構成する個々の部分著作物に対して、制限された権利を有するだけである ということを強調するために、201(c)条に用いられている。その語は集合著作物の作者が、彼らの所有する数少ない権利、すなわち 「特権」を行使するに当たって制限されていることを表すのではない。従って、電子的複製が201(c)条の下で改訂版といえる限り、 被告出版社は電子化関係の被告にそのような改訂版の作成を許す権利があった。

2. 複製、改訂版、およびコンピュ−タ商品

原告はその意見を理由づける議論をいくつか提出している。すなわち、201(c)条の制定者は、集合著作物の作者をその集合著作物が 最初に現れたと同じメディアで、改訂し複製することだけに限定することであった。しかしながら、上記の理由により、当裁判所は そのような考え方を支持するものは201(c)条の用語にも関係立法過程にも、改訂の性質一般にも認めない。 [注 7]

a. 展示権

原告は集合著作物の一部として記事を複製する権利は、他の重要な権利を伴っていないから、必然的にコンピュ−タ商品の使用を 排除すると主張する。原告は1976年法106条を挙げるが、同条は著作権を構成する5つの排他的権利、すなわち権利の「束」(bundle) を列挙している。201(c)条の下で確認されている「複製」権は、原告がいうように、これらの権利のうちの第1のもので、 「著作権のある著作物をコピ−やレコ−ドに複製する権利」である。参照、17 U.S.C.§106(1)。しかし201(c)条は、 「著作権のある著作物を公けに展示する」106条下の、別個の権利を暗黙裡に示してはいない。同上 at §106(5)。原告の見解では 「展示」権の明示的付与がこのようにないことは、被告の主張には致命的である。何故なら著作物はコンピュ−タ・スクリ−ン上に 「ディスプレィ」されるのでなければ、電子的に複製できないからである。

201(c)条で付与されていない「展示」権に焦点をあてることによって、原告は集合著作物の著作権者に与えられている「複製」権の 十分な説明ができない。「複製」は、同法下で別個に定義されていないが、106条は複製は「コピ−」を生ずることを示し、これは十分 予想できることである。被告が強調するように、これは広く、かつ前進的意義を持つ用語である。

「コピ−」はレコ−ド以外の有体物であって、その中に著作物は現在知られ、または今後開発される方法によって固定され、 そこからその著作物が直接または機械または装置の助けを得て、知覚、複製またはその他の方法で伝達され得る …
17 U.S.C. §101 。(傍点筆者)このように著作物を複製する権利は、その著作物のコピ−を作る権利を必然的に含むから、 そのコピ−がコンピュ−タ端末から「知覚され」るかもしれないことを想定している。[注 8]

原告は立法過程から、裁判所が201(c)条に「展示」権を読み込むことは許されないと主張する。原告が指摘するように、201(c)条の 初期のドラフト版は個々の部分著作物を集合著作物の後の版に「発行する特権」を与えたが、それは「複製」し「頒布」する特権では なかった。(原告の被告略式判決申立反対覚え書 at 22, n.37) 「『発行』とは著作物のコピ−… を公衆に頒布することである。」 17 U.S.C.§101 。さらに重要なことは、原告のいう「発行」とは「以後の頒布、公の実演または公の展示のために … 」著作物を 公に頒布することを予定している。同上(傍点筆者)。だから原告によれば、201(c)条の最終版から「発行」という語が なくなっていることは、そのような展示権がないことを示すと解さなければならない。

原告の議論の問題点は、201(c)条で「発行」という語が取換えられたことが、必然的にその語ばかりでなく、それが含む権利をも 排除したことになるという根拠のない憶測に基づいていることである。しかし関連立法過程には、連邦議会が集合著作物の作者に当初 想定された発行権を減殺する目的で、「複製および頒布」という文言に落着いたことを暗示するものはない。その反対に、 「複製および頒布」という文言は、「発行」を定義するために同法が用いている「コピ−の頒布」の言換えのようであって、 それらの権利を正確に確保する意図であったと思われる。実際、下院報告書は「特定の集合著作物」の一部として部分著作物を 「複製し頒布する」特権を「一定の限定された状況下でその部分著作物を再発行する特権」と明示的に同一視している。H.R.Report No.94-1476, at 122(1976) (傍点筆者)

要するに、1976年法の用語と関連立法過程の両者が、「限定された一定の状況下で」展示権を集合著作物の作者に与える意図を 表している。だから被告が、その集合著作物の「改訂」版に原告の記事を「複製」し「頒布」する特権の範囲内で行う限り、その個々の 部分著作物のたまたまの(incidental)展示は許される。

b. 最新版百科事典

原告が被告の複製権および改訂権を狭く読むことは、201(c)条下の「展示」権の不存在ばかりでなく、関連立法過程に含まれている改訂 の事例にも由来する。特に、原告は201(c)条についての下院報告書の次の箇所を根拠としている。

本項の文言の下で出版社は、ある号の寄稿記事をその雑誌の後の号に再刊できるであろうし、百科事典の 1980 年版の記事を 1990 年改訂版に再刊できるであろう。出版者はその寄稿記事そのものを改訂したり、新しい選集または全く 異なった雑誌または他の集合著作物に含めることはできない。

H.R.Report No.94-1476, at 122-23(1976)。原告には、百科事典事例の控え目な類推から改訂版という語に狭い範囲が考えられ、 その範囲は新しいテクノロジ−およびフォ−マットや構成の重大な変更は予定していない。

いくつかの理由から、原告が百科事典の例を許される改訂の最大限として扱うことは誤っている。まず第一に、201(c)条の文言は 原告が立法過程から推理するようなメディアの制限を支持しない。Cf. Demarest v. Manspeaker, 498 U.S.184,190(1991)(「制定法の用語が不明確であると認める場合、稀で例外的な状況下を除いては、 裁判所の調査は完全である。」)実際201(c)条は、改訂版を創造し得るメディアに対する明示的な制限を含んでいない。反対に、 集合著作物の「いかなる改訂版」も「その集合著作物」の改訂版である限り、許される。[注 9]

原告は電子的改訂版の明示的な禁止のないことを、201(c)条が起草された時には電子的デ−タベ−スが「連邦議会の意識」の中に なかったことに帰している。(原告の略式判決申立書補遺覚え書 at 41 。)連邦議会はそのようなテクノロジ−を知っていたが、 その意味を十分に理解していなかったというのがもっと正確であろう。参照、Arthur R.
Miller, Copyright Protection For Computer Programs, Databases, And Computer   Generated Works: Is Anything New Since CONTU?, 106 Hav.L.Rev. 977,979(1993) 。

そのような事項を知らないことを認めて連邦議会は、1976年法通過時点で、「情報を記憶、処理、検索または移転し得る 自動システム」の著作権について意味するものを決定することを、明示的に拒否した。17 U.S.C. §117(コンピュ−タ・ソフトウェア保護法により廃止、Pub.L.No.96-517,117,94 Stat.3028(1980)) 。連邦議会は、そのような発展途上のコンピュ−タ・テクノロジ−は調査の継続を必要とすると決定し、National Commission  on New Technological Uses of Copyrighted Works(CONTU) によるその問題の研究を組織した。H.R.Rep.No.1476, 94th Cong.,2d Sess.116(1976) 。1980年 CONTUが1976年の立法は、「機械可読形式で存在する著作権のある著作物の望まれる実質的 法的保護」を与えるであろうと決定した後、連邦議会はもとの117条を廃止した。同上 at 40。

原告はこの過程、ことに連邦議会がテクノロジ−の領域を探求することに当初不本意であったことを、201(c)条は被告に集合著作物 の電子化する権利を与える意図のなかった証拠として援用している。原告が記述する立法過程は、彼らの主張を強めるよりは弱めて いる。連邦議会が117条を定める必要を最初認めたことは、そのような明示的宣言がなければ、1976年法の用語はあらゆる種類の発展 途上のテクノロジ−を含むと推定できる強力な証拠である。117条の廃止によって、この推定はコンピュ−タについて復活した。 だから集合著作物の電子的「改訂版」の可能性を締め出す理由は残っていない。

被告が強調するように、1976年法は明らかにメディアに中立の目標を念頭において作られた。参照、Register´s Report on the General Revision of the U.S. Copyright Law, included in Nimmer at Volume 5, Appendix 14 at 14-8(「技術的進歩は著作権の目的物を含む著作物の …複製および流布のための新しい 業種と新しい方法を生み出した …
多くの点で[1909年法]は、今日の状況にそれを適用すると、不明確、首尾一貫せず、不十分である。」)次も参照、Copyright Law Revision: Hearing on H.R. 4347, 5680,  6831,6835 Before Subcommittee No.3 of the House Committee on the Judiciary, 89thCong.,1st Sess.57(1965)(George D.Cary, Deputy Register of Copyright の証言「われわれは、与えられる広い権利が、時の経過とともに、前進する新しいメディアの それぞれに適合するような表現にしようと努めた。」)同法の重要な用語は発展するテクノロジ−に適応するように定義されている。 例えば次を参照、17 U.S.C. §101(「コピ−」を現在知られ、または将来開発されるいかなる方法」によってと定義する; 「文芸の著作物」を「その著作物が収録されている書籍、定期刊行物、原稿、レコ−ド、フィルム、テ−プ、ディスク、カ−ド等の 有体物の性質にかかわらず、語、数字その他の言語的もしくは数字的記号または符号で表現された」著作物と定義)。 同じようにいうと、同法の規定はいずれも著作権保護を現存のテクノロジ−に限定していない。もとの117条という異例の例外は、 連邦議会は 1976 年法の用語がその使命を十分果たすことができると最終的に決定する前に、そのメディア中立の考え方が十分発展 途上のテクノロジ−に、効果的に適応できることを確保するための処置をとったことを表しているにすぎない。

要するに、201(c)条の立法過程で提供された1つの例に基づいて、連邦議会は「複製」と「改訂」の用語に、1976年の著作権法を 特徴づけるメディアの中立からの甚だしい逸脱を宣言させる意図があったと簡単に想定することは許されない。

c. 改訂という語の「平明な読み方」

原告はその全訴答を通じて、「改訂版」はその平明な意味上ほとんど原本と同じでなければならないと推定しているようである。 ことに、1976年著作権法の文脈の中で、このことはそんなに明白ではない。1909年法の「改訂版」として考えられたが、1976年法は 合衆国の著作権法の様相を完全に変えた。参照、Barbara Ringer, First Thoughts On The Copyright Act of 1976, 22 N.Y.L.Sch.L.Rev.477,479(1977)。

最小限度において著作権法は、「改訂版」は既存の著作物を新しいオリジナルな創作物を生み出すに足る程度の変更ができると予定 している。参照、17 U.S.C. §101 。実際「二次的著作物」はそれ自体「オリジナルな著作物」であるが、既存の著作物の 「編集改訂版」によって創造できる。同上。だから改訂された百科事典でも「単に些細でなく実質的な」程度に前の版と異なることも あろう。参照、Eden Toys, Inc. v. Florelee UndergarmentCo., Inc.,697 F.2d 17,34(2d Cir.1982)。 もし「編集的改訂版」がこの程度まで著作物を変形できるとすれば、201(c)条のもっと広い「いかなる改訂版」という文言は、もっと大きな変更の可能性を暗示する。[注 10]

201(c)条の構造と文言は、許される改訂版のパラメ−タ−が原告が思うよりも広いことを確認する。201(c)条は出版者に個々の 部分著作物を、それが最初に現れた集合著作物の 「いかなる改訂版の部分としても … 」「複製」することを許している。 その部分著作物の改訂版ではなく、個々の部分著作物の「複製物」のみを許すことによって、連邦議会は明らかに出版者が個々の記事の 内容を作り変え、または変更することを許さない意図であった。この制限を置いて、連邦議会は出版者に大きな余地、すなわち、 その集合著作物の「いかなる改訂版」をも作り出す余地を与える意思があったと思われる。

立法過程は201(c)条のこの解釈と一致する。同規定の初期の法案版は、出版者に集合著作物の個々の部分著作物を「その特定の集合 著作物およびそのいかなる改訂版の一部として」複製することを許していた。著名な作家である Harriet Pilpel 下院議員は、この文言について次のような憂慮を表明した。

私はこの文言について1つだけ疑問があります。それは同項 (c)の末尾の文言 …「そのいかなる改訂版も」についてであります。 もしそれがその部分著作物またはその順序を変更するとか、または異なる部分著作物を含めることによる『集合著作物のいかな る改訂版』という意味であるならば、明らかに雑誌記者や写真家は反対しないでしょう。しかし、何とかして集合著作物の所有者が 集合著作物の部分著作物に改訂版を作る権利を有するという含み、または少なくとも不明確性があります。これは法ではなく、 法にしてはなりません。従って(c)項の末尾の文言はその点を絶対的に明らかにするように変更されてはいかがかと思います。

1964 Revision Bill with Discussions and Comments, 98th Cong.,1st Sess.,CopyrightLaw Reviision,Part 5,at 9(H.Comm.Print 1965)。換言すれば、著作者は個々の記事が手を加えられないままであるならば、出版者に 集合著作物を改訂する広い裁量権を許しても心配はなかった。201(c)条はこの狭い問題に対応するように変更され、現在同条は 出版者が集合著作物のもとの部分著作物を改訂することは許されないが、その部分著作物をそれが最初に現れた「その集合著作物」の 「いかなる改訂版の一部としても …」複製することは許されることを明らかにしている。

要するに201(c)条は、「特権」「複製」「いかなる改訂版」のような用語の使用を通じて、出版者に重大な制限を課していない。 特権は譲渡でき、複製はいかなるメディアの中にでも行われ得る。「いかなる改訂版」も大きな改訂を含むこともあろう。201(c)条下で 出版者に課せられた重要な制限は、出版者が特定の原告の記事を、その記事が最初に現れた「集合著作物」の改訂版の「一部として」 複製することだけを許されているという事実にある。

3.「その集合著作物」の改訂

201(c)条の「いかなる改訂」という文言は広いけれども、もしも新しい著作物が「その集合著作物」の改訂版と公正に性格づけられる べきとすれば、それは既存の集合著作物の1つの版として認められなければならない。17 U.S.C. §201(c)。被告が原告の個々の記事の 内容の 変更を禁じられていることを考慮すれば、一見当惑させられるようなことが生ずる。特定の集合著作物は全く別々の部分著作物 から成立っているが、これがどうしてその部分著作物を変更しないで改訂できるのだろうか。この問題の解決は、集合著作物は、 それが全く個々のオリジナルな部分著作物から成立っている限度においてさえ、それ自身の他とは異なるオリジナルな特徴を持っている。すなわち、集合著作物はその部分の合計以上のものである。故にその集合著作物の個々の部分著作物の内容を変えないで、その著作物のオリジナルな全体を変えることによって、集合著作物の改訂は可能である。[注 11]

集合著作物のオリジナルな特徴を確認するためには、集合著作物は編集著作物の一形態であることを知るのが有用である。 「編集著作物とは既存の資料またはデ−タの収集および結合によって形成された著作物であって、それらの資料およびデ−タが、 その出来上がった著作物が全体としてオリジナルな著作物を構成するように、選択、調整または配列されたものをいう。」17 U.S.C. §101 。「多くの編集著作物は原デ−タ、すなわち、オリジナルな書かれた表現を伴わない全くの事実の情報、のみより成る。 Feist Publications, Inc.v. Rural Telephone Service Co., 499 U.S. 340,345(1991)。集合著作物はそれらが事実より成立っている のではなく、個々の著作者のオリジナルな部分著作物として保護されている「別々の独立した著作物」から成立っているので、 独特な形態の編集著作物である。17 U.S.C. §101 。

いかなる著作者も事実に著作権を持つことは許されないというのが「著作権の根本原理」であるから、最高裁判所は事実の 編集著作物の著作権者のオリジナリティの寄与を反映するような側面を確認しようと苦心した。参照、Feist, 499 U.S.340。結局 Feist判決を下した最高裁判所は、「唯一の考えられ得る表現は、編集者がその事実を選択し配列した仕方である」 と決定した。同上 at 349 。集合著作物の作者は、編集著作物の作者のように、自分の著作物の構成部分には権利を持っていないから、 同じ公式化が適合する。換言すれば、集合著作物の作者は、既存資料を選択、配列してオリジナルな集合著作物全体とするに当たって 創造性を示した限度において、その著作物の権利を持つ資格がある。参照、 H.R.Report No.94-1476, at 122 (出版者の「排他的権利」は「全体としての集合著作物に入った編纂および編集の要素に及ぶ …」と 説明)。集合著作物に独特の性質を与える、すなわち、それを「その集合著作物」として確認できるものにするのは、このオリジナリティの寄与である。

編集著作物、そして集合著作物も、それらが比較的オリジナリティ−が乏しいという特徴があるために、被告はその集合著作物の 改訂の努力において、ぎりぎりの境界線を進まなければならない。被告は、原告の記事を「新しい選集」または「全く異なった雑誌また はその他の集合著作物」に入れることは許されず、原告の記事が最初に現れたその集合著作物の改訂版にだけ入れることができる。参照、H.R.Report No.94-1476, at 122-23 (1976);次も参照、Quinto v. Legal Times of washington, Inc., 506 F.Supp.554(D.D.C.1981) (ロ−スク−ル新聞はそのロ−スク−ルが最初に出した記事を別のコロンビア地区の新聞に 再刊することを許すことはできない。)しかしもし被告が自分の新聞または雑誌のもとの選択や配列を変えるなら、彼らは新しい著作物、すなわち、彼らの権利の源泉である定期刊行物の版とはもはや認められない著作物を作り出す危険を犯すことになる。だから、 どのように集合著作物を変えようとも、もし201(c)条の要件を満たそうとすれば、もとの選択であろうと、もとの配列であろうと、 被告はその著作物の重要なもとの側面を残さなければならない。実際、結果として出来た創作物がそれに先立つ「その集合著作物」の 改訂版と公正に呼ばれ得るのは、そのような他と区別するもとの特徴が残っている場合に限る。

C. 201(c)条の適用

集合著作物の電子的改訂版が理論的に可能であると認める限度において、原告は現在争われている新商品は「個々の記事に関しており、 集合著作物に関するものではない」と主張する。(原告の略式判決申立書補遺覚え書 at 37) 。例えば、検索は個々の記事の全内容を取り出すが、ある号の全内容ではない。電子化関係の被告はブ−ル検索を容易にするため、個々の記事にコ−ドを付ける。個々の記事は システムの中に別々の「ファイル」として記憶され、無数の他の刊行物からの、ほとんど無数の他の記事と一緒にその中に入っている。 その上ユ−ザ−の便宜のために、記事には1つ1つが役立つようにする付録が付く。各記事には見出しがついていて著者、記事の出た 出版物、その記事の出たペ−ジが示される。要するに原告は、被告がその集合著作物を保持しないばかりでなく、原告の個々の寄稿記事 を電子的に不当利用するために、その集合著作物を積極的に分解すると訴える。 [注12]

1.電子的に保存された被告の定期刊行物の側面

NEXIS および争われているCD-ROMが、被告出版社の集合著作物の「オリジナリティ−を構成するすべてのものを取除く」という原告の 主張を評価するためには、その集合著作物の他と区別するオリジナルな特徴をまず確認することが必要である。(10/17/97 反訳記録at 38)。被告の刊行物が資料のオリジナルな選択と配列を表す限度で、当裁判所はその上で、そのような特徴が電子的に保存されているか どうかを決定しなければならない。この2段階方式は、事実の編集著作物の作者が提起した著作権侵害請求に直面する裁判所が行う分析 にきわめて類似-- ほとんど同一 -- している。例えば次を参照、Feist,499 U.S. 340; Lipton v.Nature Co., 71 F.3d 464(2d Cir.1995); CCC Information Services, Inc. v. MacLean Hunter Reports, Inc., 44 F.3d 61 (2d Cir.1994), cert.denied, 116S.Ct.72(1995); Key Publications, Inc. v. Chinatown Today Publishing Enterprises,Inc.,945 F.2d 509(2d Cir.1991); Nester´s Map & Guide, Corp. v.Hagstrom Map Co.,796 F.Supp.729(E.D.N.Y.1992)。

編集著作物の侵害関係で諸裁判所はまず、原告の編集著作物が保護に値するだけのオリジナリティを持っているかどうかを決定する。もし選択にしろ、配列にしろ、十分なオリジナリティがあれば、 このオリジナルな要素が、侵害しているといわれる著作物にコピ−されているかどうかを決定しなければならない。同上。次も参照、 Skinder-Strauss Associates v. Massachusetts Continuing Legal Education, Inc.,914 F.Supp. 665,672(D.Mass.1995)( 「もし当事者が、その編集著作物に著作権を与えられるに足るだけのオリジナリティ−が あることを証明すれば、さらに著作権侵害を証明しなければならない …『原告は… 著作権のある資料のコピ−行為が非常に広範で、 侵害している著作権のあるその著作物を』、法律問題として『実質的に類似のものとすることを証明しなければならない。』」 (Lotus Development Corp. v. Borland Intern, Inc.,49 F.3d 807,813(1sr Cir.1995) を引用)。侵害していると主張されている著作物が、保護されている編集著作物のオリジナルな側面をコピ−しているという認定は、 侵害の認定を支持する。被告が保護されている編集著作物の構成部分だけをコピ−した場合には、侵害はない。

本件の諸事情においては、同一の分析をすると、反対の結果になる。もし争われている定期刊行物が資料のオリジナルな選択または 配列を表しているならば、かつそのオリジナリティ−が電子的に保持されているならば、その電子的複製は被告出版社の集合著作物の 許され得る改訂版と見なされなければならない。他方もし電子化関係の被告が、争われている刊行物のオリジナリティ−を保持しないで、ただその著作物の構成部分を不当利用しているだけの場合には、その構成部分に対する原告の権利は侵害されたのである。 当裁判所の改訂版の分析は、最高裁判所の編集著作物侵害の分析の通りであるということは、両分野に行き渡っている共通の憂慮を反映 している。事実の編集著作物および集合著作物の作者がその権利を、もっぱら自分のオリジナルな貢献から得ること、および彼らが自分の創作物の構成部分に対する完全な支配権を奪い取ることは許されてはならないことを、諸裁判所は確実にすべきである。参照、17 U.S.C. §103(b); 次も参照、Nimmer, 3.04[A], at 3-20-21(「著作権者または彼への譲渡人においてオリジナルなものだけが、その 著作権によって保護されることができる。」)

Feist 事件においてある電話会社は、被告出版社が地域の「ホワイトペ−ジ」電話帳にリストされた電話番号と住所を、もっと 広い地域をカバ−する大きい電話帳に編入することによって、その電話帳の著作権を侵害したと主張した。電話帳の作者は電話帳に記載 された事実に対して排他的権利を持つことはできないと認めた上で、最高裁判所は原告がそのホワイトペ−ジ電話帳を作るに 当たって、重要なオリジナルな貢献をしたかどうかを考察した。「編集著作物の大多数」は選択と配列において保護を受けるに値するだ けのオリジナリティ−を示しているであろうとあえて述べて、最高裁判所は「選択、調整、配列は必ずしも合格するとは限らない」と 結論した。Feist, 499 U.S.at 358-59。実際原告のホワイトペ−ジ電話帳は「まさに典型的」であって、一特定地域の電話番号すべてをアルファベット 順にリストしたにすぎない。同上 at 362 。従って最高裁判所は、原告の電話帳に記載された事実の情報をコピ−しても、被告は著作権侵害をしたことにならないと判示 した。

その他の例では、Feist 事件で最高裁判所が考えたように、総合編集著作物の資料の選択と配列は著作権保護を正当化するに足るオリジナリティ−ありとされた。例えば、次を参照、Lipton, 71 F.3d 464; Eckes v.Card Price Update, 736 F.2d 859 (2d Cir. 1984);Key, 945 F.2d 509; CCC, 44 F.3d 61 (コンピュ−タ・デ−タベ−スのプロバイダ−が、オンライン・システムに車の同じ選択と同じ見積り 価格を含めたことによって、中古車評価書の原告の著作権を侵害したと判示);Nester’s Map & Guide Corp., 796 F.Supp.729(出版者は、原告の道路リストの選択・配列をコピ−した競合する案内書を作ることによって、 原告がニュ−ヨ−ク市タクシ−運転手案内書にもつ著作権を侵害したと判示)例えば、 Lipton 事件において第2巡回区控訴裁判所は、原告が選んで自分の書物に収めた用語そのものから成る編集著作物を出版することに よって、猟獸に関する書物 -- “動物群を識別するための用語集”のガイドブック -- に対する原告の著作権を被告が侵害したと認定した。)71 F.3d at 467。Eckes 事件において裁判所は、被告が原告のガイドブックが「プレミアム」と指定したものと基本的に同一の 5,000枚のカ−ドを列記した競合する価格「新情報」を出版して、原告が野球カ−ド価格ガイトに有する著作権を侵害したと判示した。 736 F.2d at 861 。これらの判決などは「編集著作物の著作権保護に必要な創造性の程度が決定的に低く」、出版する情報の選択だけで も、時として著作権保護を正当化するに足るオリジナリティを示していることを強調する。Lipton, 71 F.3d at 470。

編集著作物または集合著作物の中での資料のオリジナルな選択または配列を生むのに必要な創造性は比較的小さいけれども、その後 の著作物にそのオリジナルな選択と配列を保持するために必要な注意は大きい。例えば、資料のオリジナルな選択を保持するためには、 その後の著作物はその資料の「一定比率」以上をコピ−しなければならない。参照、 Worth v. Selchow & Richter Company, 827 F.2d 569, 573(9th Cir.1987)(被告のtriviaゲ−ムが原告の百科事典に含まれている 事実のほんの一部分をコピ−しただけの場合には、その事実のオリジナルな選択をコピ−したことにならないと判示)。第2巡回区控訴 裁判所が述べたように、その後の著作物は、前の著作物と選択において「ほんの少しの程度」 以上異なってはならない。参照、Kregos v.Associated Press, 937 F.2d 700, 710 (2d Cir.1991) (被告は、原告が確認した統計の9範疇のうち6つを含む競合する形式を考案しても、原告の野球投球の統計の 形式を侵害したことにならないと判示)次もまた参照、Lipton, 71 F.3d at 471( 被告が侵害していると主張された著作物は、原告の著作物と「本質的に同じ選択」を含んでいると認定)。

被告出版社の定期刊行物のオリジナルであることを明らかにする側面の1つは、その著作物に入れられる記事の選択である。事実、 新聞・雑誌は電話帳とは全く異なる。用語集や野球カ−ド・ガイドよりもずっと異なる。新聞または雑誌に入れるべき資料を選択する ことは、高度に創造的な仕事である。おそらくThe New York Timesは、選択だけが著作権保護に値するだけのオリジナリティ−を表す出版物の模範であり典型である。「印刷に適したニュ−ス全部」を確認することは、特定の地区からの電話番号全部を集めるのと同じぐらい機械的な(または議論の余地のない)仕事どころではない。実際、読者に興味のある事項を認識することは高度に主観的な作業であって、編集者や定期刊行物が異なれば、成功度もきっと異なる作業である。
                                                      
被告出版社による保護を受けている記事のオリジナルな選択、すなわち、その定期刊行物の識別要素は電子的に保持されている。記事は、被告出版社がそれまでにその記事が読者に受けるであろうという編集決定をしたというだけで、その係争中のデ−タ・ベ−スに入っている。[注 13]その結果、争われているテクノロジ−は、被告出版社が選択した記事を「一定比率」をはるかに超えてコピ−している。参照、Worth, 827 F.2d at 573; 次も参照、Kregos, 937 F.2d at 710 。これらのテクノロジ−は、The New York TimesまたはNewsday またはSports Illustratedのそれぞれ日刊、週刊の各号に載せるように選択された記事のすべてをコピ−している。

争われている定期刊行物の記事全部の完全な内容が電子的に利用できることを原告は認めるけれども、原告はそれらの記事が他の 定期刊行物の他の号に載った、ほとんど無数の他の記事と一緒に記憶されていると指摘する。しかし、このようにもっと大きな デ−タベ−スに入り込むからといって、自動的に被告出版社の保護されているオリジナルな選択が失われたことにはならない。 参照、CCC, 44 F.3d at 68 n.8(「地方裁判所も、CCC が Red Bookの選択をもっと大きなデ−タベ−スに含めたからといって、Red BOOKの保護されているオリジナル要素を侵害したことにならないと考えた。当裁判所は賛成しない。」)実際電子化関係の被告は、 この危険を回避するために原告の記事とその記事が最初現れた紙面版定期刊行物との関係をはっきりするためにさまざまな処置を講じて いる。例えば、ユ−ザ−は特定の指定された定期刊行物または特定の定期刊行物に印刷された原告の記事から成るデ−タベ−スを 通じてその記事にアクセスする。もっと重要なことは、ある記事が見るために一旦選択されると、その記事は著者名ばかりでなく、 それの現れた刊行物、号、ペ−ジ数によって確認される。だから電子商品は被告出版社の完全なオリジナルな記事の「選択」をコピ−するばかりでなく、被告出版社のオリジナルな選択がオンラインではっきり残るようにその記事にラベルを付けている。 [注 14]

2.電子的に保存されなかった被告の定期刊行物の側面

原告によれば、電子複製は被告出版社の定期刊行物の改訂版とは合理的に考えられない。何故なら争われている定期刊行物それぞれの 重要な要素が保存されていないからである。別のいい方をすると、原告は当裁判所の考え方に反対する。その理由は裁判所が失われた ものに対して、電子的に保持されたものに注意を集中するからである。もっとも顕著なことは、イメージ型 CD-ROM を除いて、争われている商品は被告の刊行物の写真、見出し、およびペ−ジのレイアウトを複製しない。新商品による複製と 被告の刊行物との間に、このような大きな相違があるので、原告の主張はある程度説得力がある。争われている刊行物について オリジナルなものの多くが、オンラインまたはディスクに現れていないことは避けられない。しかしながら、最終的に被告出版社の 定期刊行物の紙面版へのこのような変更は、「改訂」の分析にとって周辺的な問題にすぎない。

まさにその性質上、「改訂版」は必然的にその前の著作物の変更版である。すでに説明したように、(前出、VB2c)201(c)条は 集合著作物に大きな変更さえも許している。同条の制定者は、個々の記事の不当利用を避けようとし、出版者が重大なやり方で集合 著作物を改作することを禁じようとはしなかった。個々の記事の内容の変更を禁じながら、同時にそのような改作を許すために、 連邦議会は出版者にその創作物の一部のオリジナルな側面を残し、その他を棄てる余地をもたせようと決めた。201(c)条の文言で 連邦議会は、出版者は集合著作物の「いかなる改訂版」も作ることを許されると決定した。そこで当裁判所の重大な問題は、電子複製が 被告出版社の集合著作物と異なっているかどうかではない。改訂版がその根拠となった著作物と異なるものになることは避けられない。 当裁判所の問題は、電子複製が被告の定期刊行物のうちの、その定期刊行物の版と認められるに十分なだけのものを保持しているか どうかである。

集合著作物は典型的に、資料の選択および配列だけにオリジナリティを持っているのであるから、その著作物の改訂版には選択 または配列のいずれかが変更され、または失われてしまうこともあろう。これはまさに本件で起きたことである。争われている 定期刊行物の写真やペ−ジのレイアウトがないので、NEXIS と「The New York Times OnDisc 」は、明らかに被告出版社の定期刊行物に含まれている資料のオリジナルな配列を複製していない。 しかし、被告出版社のオリジナルな記事の選択を保持することによって電子化関係の被告は、出版者の集合著作物の少数の識別的 オリジナル要素の1つをようやく保持したのである。換言すれば、NEXIS およびUMI のCD-ROMは被告出版社の新聞や雑誌の、それと認められる版を有している。そこで201(c)条よりみて、被告はその集合著作物 の「いかなる改訂版」の作成に成功したのである。

当裁判所はさらに、本判決においてその分析につき、すでに非常に多くの情報を与えた編集著作物侵害事件の文言にその判決の 根拠を見出だすのである。特に、保護された編集著作物のオリジナルな選択またはオリジナルな配列のいずれかをコピ−する著作物は、 著作権法上その編集著作物と「実質的に類似」している。参照、Key, 945 F.2d 514(「もしGalore Directoryが、種類の配列または 事業の選択に関して 1989-90 Keyディレクトリと実質的に類似しているならば、侵害の認定は支持され得る。」)(傍点筆者)。 換言すれば、編集著作物がオリジナルな配列とオリジナルな選択の両方を持っている場合、オリジナルな配列が犠牲に供されても、 実質的類似性は存続する。同上。故に、電子デ−タベ−スは被告のオリジナルな記事の選択を保持しているから、これらのデ−タベ−ス は法律上当然被告の定期刊行物と「実質的に類似」する。[注 15]  

編集著作物侵害事件の「実質的類似性」基準を援用することによって当裁判所は、オリジナルな選択または配列が、後の創作物に 保持されている場合は何時でも、それによって特定集合著作物の改訂版ができるという固定した規則を宣言するつもりはない。 場合によっては、結果としてできた著作物が前の「集合著作物」とはひどく性質が異なるので、それが改訂版と公正には認められないこともあり得る。しかし当裁判所はこの可能性について推測したり仮説を立てたりする必要はない。何故なら電子的複製は、出版者の集合著作物の識別要素を保持するだけ以上のことをしているからである。そういう商品は電子システムの中にその要素を保持し、そのシステムはユ−ザ−が新しい方法で、新しい能率をもって、それがなければ定期刊行物の紙面版を見るであろう同じ目的のために、被告の定期刊行物を見ることを可能にするのである。実際、最も広い意味で NEXISや CD-ROM は、新聞や雑誌と同じ基本的機能を果たしている。それらはすべて被告出版社のために働いている編集者によって選択された、さまざまなトピックに関する情報源なのである。[ 注 16]

要するに、もし NEXISがThe New York Timesまたは Newsdayまたは Time の許可なく作られたとすれば、これらの出版社は MEAD に対して、著作権侵害の有効な請求権を有するであろう。もし「General Periodicals OnDisc」または 「The New York Times OnDisc 」がThe New York Timesの許可なく作られたとしたら、出版者は UMIに対して有効な侵害の請求権を持つ であろう。換言すれば、公正使用のような考察点がなければ、被告出版社はその定期刊行物の無許可版を作り出したとして、電子化 サービス関係の被告に対して勝訴できるであろう。参照、17 U.S.C. §107 (著作物原本の類似版の作成が、「公正使用」として許される場合を記述する)。当裁判所はこれらの電子版が、 少なくともこの場合被告の集合著作物の「いかなる改訂版」となることなく、場合によってはそれと「実質的に類似」し得ると結論でき ない。17 U.S.C. §201(c)。このことは、これらのテクノロジ−が被告出版社の定期刊行物の基本的性質を保持しながら、この実質的類似性を 残しているという事実に照らして、ことにそうである。[注 17]

3.201(c)条と著作者の権利

原告は、本件における被告勝訴の判断は1976年法の主要な保護をフリ−ランサ−の著作者に与えないままにしておくものである、と頑強に主張する。原告によれば、この結論は 201(c)条の制定 -- および不可分性の剥奪 -- は個々の著作者の重要な勝利であったという事実と両立させることはできないものである。

第一の問題として、原告は本判決の反響を主張する。電子デ−タベ−スは被告出版社の集合著作物の重要な創造的要素を保持する。その他無数の考えられ得る状況において、 201(c)条は個々の記事を出版者が不当利用することを防ぐように適用されるであろう。例えば、The New York Timesはフリ−ランサ−の記事を売って Sports Illustrated に入れさせることはできない。参照、Quinto, 506 F.Supp.554; また次も参照、H.R.Report No.94-1476, at 122-23(1976)(「出版者は寄稿記事そのものを改訂することはできないし、新しい選集や全く異なる雑誌または他の集合著作物に入れることもできない)。雑誌出版者は特集記事を完全な1冊の本に改作することはできない。比較、Oddo v. Ries, 743 F.2d 630, 633-34(9th Cir.1984)( 雑誌出版者は原告の発表済みの記事を改作して、本の形にする排他的権利を取得しなかったと説明)。そして出版者は、その定期刊行物へのフリ−ランサ−の個々の寄稿をテレビ版または映画版に作ることはできない。比較、Abend, 495 U.S.207(映画製作者が、最初雑誌に発表されたスト−リ−の映画版を著者の権利承継者の許可なく製作することを禁ずる)。これらの概要は、NEXIS や CD-ROM テクノロジ−の遍在と思えるものによって影がうすくなったいるであろうけれども、著作者は201(c)条によって保護されていることは変わらない。

当裁判所は、その判断が原告から彼らの創作物についているある重要な経済的利益を奪うとは、軽々しく考えていない。しかしこのことは201(c)条の適用が間違っている結果ではなくて、出版業における経済的景観を変えた現代の発展より生じた結果である。特に、オン・ライン・テクノロジ−と CD-ROM は、初めて商業的に栄え始めたのは1980年代初期から中期にかけてである。[注 18]だから著作権法がl960年代と1970年代初期にできた時には、フリ−ランサ−記者に最も緊急な経済的脅威はコンピュ−タ商品によって生じたのではなく、前節に記述したような取引によってであった。すなわち、雑誌間の記事の売買、スト−リ−のテレビ翻案などである。連邦議会はそのような不当利得を防ぐことを目標とした規定をもって答えた。出版者にはその集合著作物を改訂する権利が残された。それはその当時限られた経済的価値しか持たないと考えられたが、時とテクノロジ−とがその後貴重なものとした権利である。

要するに、201(c)条の制定者は当裁判所の判断の下で出版者に許された、たなぼた式の意外な贈物を意図しなかった、と原告は主張する。そうかもしれない。もし今日の結果が意図されたものでないとすれば、それは連邦議会が現代の技術がそのような儲かる改訂版の販路を作り出す方法を十分予想できなかったからにすぎず、連邦議会は当裁判所が今日適用しているよりも狭く、改訂版という語を適用させようと意図していたからではない。換言すれば、原告は争われている電子的複製が被告の集合著作物の改訂版を作り出していないと力強く主張するけれども、原告の本当の不満は、改訂版が著作権法のその特定の用語が論議された当時に予期されたよりもはるかに貴重になった状況を、現代の技術が作り出したということにある。もし連邦議会が、今日の高価な電子情報システムの世界では、201(c)条はもはや意図された目的に副わなくなったということに、原告と同調するならば、連邦議会はもちろん、もっと公平な結果の達成のために、その規定を自由に改正できる。しかしながら、その時まで、そしてそれがなければ、諸裁判所は201(c)条を、その条項通り適用しなければならない。そして連邦議会が、今分かっていることをその時知っていたとしたら、議会は物事をどのように違ったようにしたであろうか、という憶測に基づいてでなくそうしなければならない。参照、ABKCO Music, Inc. v. Stellar Records, Inc., 96 F.3d 60, 65(2d Cir.1996)( 「連邦議会が[著作権]の用語を再制定するために、将来どうするだろうか、あるいはしないだろうかということは、われわれの憶測すべきことではない。」)

結論

上記に述べた理由によって、被告の略式判決の申立を認める。裁判所書記はこの意見および決定に従って、その他の被告に対する訴を棄却する判決を記録することを命令される。

上記の通り決定する。

日付:ニュ−・ヨ−ク州 ニュ−・ヨ−ク

1997年8月13日

                

連邦地方裁判所判事  Sonia Sotomayor


       

注 l.原告は被告 Atlantic Monthly と本請求の和解をした。

注 2.The New York Timesが最近採用した方針によれば、同紙は著作者はその創作物の一切の権利を放棄するという明示的書面の条件に基づいてのみフリ−ランサ−記者の記事を受取っている。

注 3.原告は彼らの記事のNEXIS およびディスク上の電子的複製は、直接彼らの著作権を侵害すると訴える。原告は、被告がこの侵害著作物といわれるものを作るにあたって、被告らが相互に協力した限りにおいてのみ、被告の寄与的責任を問おうとしているのである。原告は、争われている電子サ−ビスのユ−ザ−の著作権侵害の可能性に対して、被告が寄与的に責任があるというはっきりした主張はしていない。(1996年12月10日 反訳記録 at 34 (「本件は被告が侵害的なやり方で、第三者が使用できる機械または装置を製造または頒布していると非難した事件ではない。」)そのような請求で、それは Sony Corp.v,Universal Studios, 464 U.S.420,442(1984)事件に従って判断されるであろうが、それに勝訴するためには、被告は争われている商品が「実質的非侵害的用途」にも供され得るということを証明するだけでよいであろう。一般的には次を参照。Ariel B. Taitz: Removing Road Blocks Along The Information Superhighway: Facilitating TheDissemination Of New Tchnoloby By Changing The Law Of Contributory Copyright Infringement, 64 Geo.Wash.L.Rev.133(1995)(寄与的侵害の請求に対する、それに代わる扱い方として「瑣末でない侵害用途法理」を提案する)。

注 4. Whitfordとの契約の 10(a)条に焦点を当て、Timeは 10(b)条および 10(c)条を直接根拠とすることを避けているのが目立つ。(被告の略式判決申立書補遺覚え書 at 38 (「Sports Illustratedは Whitford の記事を「最初に発表する」権利を取得すること、およびその契約は発表が許されるメディアをどこにも明示的に記述も限定もしていないことについては争いがない。そこで焦点は、フォ−マットの争点について何も書かれていないことに照らして、契約の範囲をどう解釈するかを決定することである。」))。これらの他の規定はいずれも、出版者が再発表に対して Whitford に報酬を支払う限り、TimeがWhitfordの記事を再発表することを広く許している。Whitfordもこれらの規定を根拠にしないし、Timeに対する契約上の請求を提起していない。

注 5.集合著作物は、保護されている「既存の資料」より成る「編集著作物」である。
下記 VB3 参照。従って、103(b)条は集合著作物の著作権のあり方(status) を直接扱う。参照、Nimmer, §3.07[A][1], at 3-34.9 n.1 。

注 6.1909年法の7条は以下のように定めた。

公有の著作物、または著作権のある著作物の編集、または要約、翻案、脚色、戯曲化、翻訳または他の版が、そのような著作物または新しいものを加えて再発表された著作物の著作権者の同意を得て製作された場合には、著作権を受け得る新しい著作物と見なされる−−−しかし、そのような新しい著作物の刊行は、既存著作権の効力を、用いられた資料またはその一部に及ぼさない。またもとの著作物のそのような使用の排他的権利を黙示的に与え、またはもとの著作物の著作権を確保または拡張すると解釈してはならない。 17 U.S.C. §7 (1976 ed.)( 1976年著作権法によって廃止)。

注 7.原告はマイクロフィルム、すなわち、ユ−ザ−が定期刊行物の全号をスクロ−ルすることのできる高感度フィルムの著作権の含みと苦闘することによって、その主張を弱めた。(1996年10月17日 反訳記録 at 41 (「私は前に相手方代理人にこの点を譲歩して、出版物または定期刊行物のマイクロフィルム版を作る権利は、201(c)条特権に含まれていることも可能だと思うといった」)と1996年12月10日 反訳記録 at 50(「「マイクロフィルムの電子相等物も違反」というのが「多分201(c)条の正しい解釈だ」と考える)とを比較。もちろん、201(c)条が集合著作物のマイクロフィルム複製を許すことが「可能」なら、201(c)条が新しいメディアでの複製を禁じることは不可能である。

注 8.集合著作物のマイクロフィルム複製が201(c)条の下で許されるかもしれない理由を求めて、原告自身がその展示権の主張の否認に対する別の扱い方を暗示している。(1996年10月17日反訳記録 at 52( 「201(c)条および109(c)条の下で、彼らは原告の著作物をその許可なく取ってマイクロフィルムに入れる権利があると、裁判長と同様に考えます」。)109(c)条は、保護されている著作物のコピ−を適法に持つ人が「そのコピ−を公に展示する」ことを許している。17 U.S.C. §109(c)。故に、もし被告が201(c)条に定められた条件に従って、原告の記事を複製したとしても、その複製を109(c)条に従って展示する権利を有するであろう。

注 9.下記VB3で説明するように、集合著作物はそれが現れるメディアによってではなく、記事やその他の資料のオリジナルな選択と構成によって特徴づけられる。参照、 Feist Publications, Inc. v. Rural Telephone Service Company, Inc., 499 U.S.340(1991)。

注 10.原告側法廷助言者、The Author´s Guild of Americaは、原告の改訂版の狭い解釈は、その語の辞書にある定義から出たもので、その定義は前作の「新」版、「最新」版を含むものであると論ずる。(Author´s Guild 覚え書 at 7( Webster’s Ninth New Collegiate Dictionary 1010(1983)を引用)。これは原告の立場を強めない。説明したように、二次的著作物は既存の著作物の「新」版である。そのような著作物は前作から「実質的に借りる」けれども、二次的著作物の特徴はそれがオリジナルな創作物と呼ばれるに足るだけ前作と異なることである。参照、Eden Toys, 697 F.2d at 34 。その上、二次的著作物はその基礎になる著作物とは異なるメディアの中で、型通りのやり方で作られる。例えば、次を参照、Twin Peaks Productions, Inc. v. Publications International,  Ltd., 996 F.2d 1366, 1373(2d Cir.1993)( ある本を、それの基礎になったテレビ番組の派生版と分類する)。

注 11.被告出版社の定期刊行物に入っているもとの部分著作物の多くは「職務上の著作物」である。17 U.S.C.§201(b) 。これらの記事は被告出版社の従業員が書いたものであるから、出版者はその記事に対し完全な権利を取得し、それはその記事を変更する権利を含む。同上。被告は原告の記事が職務上の著作物であるとは主張していないから、ここでの分析は、被告出版社がその刊行物に掲載された著作物に対して、被告が集合著作物に有する別個の著作権保護に基づいて取得する権利だけに焦点を当てる。
                 
注 12.この枠内で原告は、The New York Times Sunday MagazineとBook Review の写真画像の入っている「General Periodicals OnDisc」に対する異議を説明しようと苦闘する。原告は最初このCD-ROMはThe New York Timesの号を全部入れていないで、別々の部分だけを入れていると主張した。しかしThe Sunday Magazine とBook Review は完全自足の定期刊行物、すなわち、集合著作物であって、被告はそれ故にそれを複製する権利を有する。 1996年12月10日の審理において、原告は画像型ディスクに付属する要約に注意を向けて、これらの長さ1節の要約は、原告記事の無許可の派生版であると論じた。被告はこれに答えて、原告は以前当裁判所に提出した書面のいずれにもこの争点を提起していない、だから被告は開示にも弁論にもこの争点を扱う機会を得なかった、といった。当裁判所はその後被告がいった通りであることを確かめ、従って 12 月の審理中述べたように、当裁判所はその要約が原告の個々の記事の著作権を侵害するかどうかは考察しない。(1996年12月10日 反訳記録 at 53。)

注 13.これについて、NEXIS またはUMI のCD-ROMを別個の集合著作物とするような、記事の中間的・オリジナルな選択はない。参照、H.R.Report No. 94-1476, at 122-23(1976)  (「出版者は部分著作物自体を改訂できないし、新しい選集または全く別の雑誌または他の集合著作物に含めることはできない」)。とにかく原告は、NEXIS と争われている  CD-ROMがそういうものであると主張していない。(1996年10月17日 反訳記録 at 32) 。

注 14.電子サ−ビスは繰返し各記事が得られたもとの出版物を示しているという事実は、原告がその趣意書全体に亘って援用する類推の説得力を損なう。原告はデ−タベ−スに入っている記事を車の部品と比べる。大破した車は解体されて各部品の価値を生ずるのとちょうど同じように、被告の刊行物はそれぞれ集合著作物としての価値を急速に失うから、それは電子的に解体されて個々の記事の価値を生ずると、原告は主張する。しかしながら、一旦デ−タベ−スに入ると、その記事の特定の定期刊行物との繋がりが、明らかにその記事の価値を高めるのである。実際、Newsday やThe New York Timesに載った記事は、発表されなかった記事や他の定期刊行物に発表された記事の場合には存在しない、ある程度の信頼性を直ちに与えられる。とすれば、電子の形になった記事は車の部品のようなものである限りにおいて、たいていの型やモデルにも適合できる部品ではなく、特定の自動車メ−カ−の作った特定のモデル用のデザイン仕様に適合するから、プレミアムをつけてしか入手できない部品である。

注 15.専門用語としての「実質的類似性」は往々2著作物間の現実の類似を誇張する。特に、比較的僅少のコピ−行為が、侵害著作物といわれているものを、全くオリジナルな創作物に「実質的に類似」したものとするために必要とされる。例えば、次を参照、
Twin Peaks, 996 F.2d at 1372( 「類似性の概念は構成と順序の全地球的類似性ばかりでなく、言葉の局地的類似性を含む);Harper & row Publishers v. Nation Enterprises,471 U.S.539(1985)(被告が、フォ−ド大統領の未発表の回想録から300 〜 400語を抜粋したにすぎない雑誌記事を出版した場合に侵害を認定した)。しかしながら、実質性は編集著作物や集合著作物に関する場合にはもっと厳しい基準である。参照、Key, 945 F.2d at 514。事実、実質的類似性は「侵害されたと主張される編集著作物に著作権性を与える要素、しかもそういう要素のコピ−行為にかかっている。同上。だから著作権法の他の分野におけるよりももっと広範囲に、ある著作物が編集著作物または集合著作物と実質的類似性を持つという認定は、その著作物がその基礎となる著作物と重要な類似性を現実に持っていることの、仮に不完全であっても、公正な指標となる。。

注 16.原告は当裁判所が、紙面版新聞と電子デ−タベ−スが極めて異なる用途に供されるということを認識しないで、新聞雑誌の「基礎的機能」の特徴づけを誤っていると主張したがっているようである。原告は、人々が新聞をその日のニュ−スを知るために読み、これに反し、デ−タ・ベ−スやCD-ROMは調査のために調べると主張する。しかし新聞は、主として調査用に用いられる時にも、依然として新聞である。例えば、一旦図書館の書架に置かれても、The New York Timesの完全な号は、定期刊行物索引で研究者が見付ける特定の記事だけを求めて調べられることもあるだろうが、確かに依然The New York Timesの 1号である。この意味で、確かにNEXIS も CD-ROM も被告の定期刊行物の諸版を複製している。彼らは電子調査ライブラリ−に似たものに、その版を収蔵するにすぎない。

注 17.原告は、被告出版社と電子化サービス関係の被告との間で結ばれた取決めに、かなりの注意を払っている。例えば、原告はThe New York Timesが MEAD とのライセンス契約の中で、 NEXIS がThe New York Timesの「ファクシミリ複製」を作ることを明示的に禁じていることを強調する。(原告 略式判決申立書 証38 at M003642 。)他方、UMI との最初の契約で、The New York Timesは同紙とその部分の完全画像を複製する排他的権利をUMI に与えている。(原告 略式判決申立書 証39 U007357。)その取決めは、The New York  Times がNEXIS を通じて原告の個々の記事から、「General Periodicals OnDisc」を通じてそれより大きい定期刊行物から利益を得ていることを証明していると、原告は論ずる。それとは反対に、The New York Timesの異なるオリジナルな側面を、異なる電子プロバイダ−に売ることにより、--MEADの場合は記事の選択、UMI の場合は視覚的レイアウト -- 出版者は集合著作物の改訂の方法は1つだけではないという事実を利用しているにすぎない。

注 18.参照、Sidney A.Rosenzweig, Don ´t Put My Article Online!: Extending Copyright's New Use Doctrine To The Electronic Publishing Media And Beyond, 143 U.Pa.L.Rev. 899,929(1995) 。