Tasini v. New York Times

富士通(株) 岡本、(株)日本総研 筒井


<<事件の概要>>

新聞・雑誌への寄稿を電子的データベースに蓄積・配信することにつき、記者-新聞社・雑誌社間のライセンスの存在を否認したが、米国著作権法の解釈上、集合著作物の著作者たる新聞社・雑誌社は、電子的データベースの形でその集合著作物の改訂版を発行する際に個々の記事を電子的に複製・頒布できる、と判示した事例。

当事者

・原告:Jonathan Tasini (*National Writers UnionのPresident),

Mary Kay Blakely,
Barbara Garson,
Margot Mifflin,
Sonia Jaffe Robbins,
David S. Whitford

・被告:The New York Times Co.(以下NYT)

Newsday Inc.(以下NEWSDAY)
Time Inc. (以下Time)
The Atlantic Monthly Co.
[以下、この4社を総称して被告出版社]
Mead Data Central Corp.
University Microfilms Inc.[以下UMI]
[以下、MEADとUMIを総称して電子的被告という]
裁判所 ニューヨーク南地区連邦地裁
判決日 1997年8月13日
関連法令
   (条文)
17U.S.C.§103(b), §201(c),(d), §204(a)
判 決 原告実質敗訴
記事を電子的データベースに利用するライセンスの存在を否認。
著作権法の解釈として、集合物著作物の著作者による電子的データベースへの応用を容認。
キーワード ライセンス、集合著作物


● 目 次 

1.事実関係

2.連邦地裁の判断

3.私見及び所感

4.日本の著作権法判例紹介


1. 事実関係

[原告]
Jonathan Tasini等原告らは全て、フリーランスのライター。NYT紙、Newsday、Sports Illustratedに寄稿していた。

[被告]

  1. 当事者間の関係

    原告らは、1990年から93年までの間に出版のために売られた全21件の記事につき、被告が著作権を侵害した、と主張。

    1. NYT
      NYT社編集者とライターとの間で、記事のテーマ、長さ、〆切、対価等につき口頭の合意を元にフリーランス契約が行われていた。発注された記事に係る権利についての交渉に話が及ぶことは殆どなく、原告らは書面の契約のないままNYT社に記事を渡していた。
    2. Newsday
      NYTと同様に、編集者とライターとの間の口頭の合意を元に、書面の契約のないままフリーランス契約が行われていた。ただ、Newsdayが支払用に振り出した小切手には、次の裏書条項が書かれていた。
      要署名。本裏書条項を変更した場合は小切手は無効。本小切手は、Newsdayの全ての出版物における、本小切手に表記されたものに関する最初の出版権(又は、合意が全ての権利に関する場合には、全ての権利)、及びかかるものを電子的記録保管所に含める権利の対価の全面的支払いとして受領されるものである。
      (筆注:下線は強調のため付した)
      原告Tasiniは小切手の現金化の前に、この文言を抹消した。他の原告らは、文言をそのままにして現金化した。
    3. Sports Illustrated
      原告らのうちWhitfordがSports Illustratedに記事を提供していた。WhitfordとTime社との間では書面の契約が取り交わされた。その契約は、Sports Illustratedに次の権利を与える内容であった。
      (a)「雑誌」において「記事」を最初に出版する排他的権利(筆注:下線は強調のため)

      (b)他の出版物において、翻訳・要約(digest)・抄約(abridgment)その他の形式の如何を問わず、「記事」の再出版をライセンスする非排他的権利。但し、「雑誌」はかかる再出版につき受ける正味総収益の50%を貴殿に支払うものとする。

      (c)「雑誌」中で又は「雑誌」に関連して、或いはThe Time Inc. Magazine Companyが出版する他の出版物において、「記事」又はその部分を再出版する権利。但し、「記事」を再出版する出版物の通常のレートを貴殿に支払うものとする。

      Whitfordは、この文言によってTime社に電子的な権利を与える意図は無かった。
  2. 技術的複製

    1980年代初め以降、被告出版社は、自社の定期刊行物のコンテンツを電子的被告に売る一連の契約を締結した。NEXISは、1982年以降のSports Illustrated誌、1983年以降のNYT、1988年以降のNewsdayの記事を収録。UMIは1992年より"The New York Times OnDisc"を発行し、1990年以降のNew York Times MagazineとBook Reviewを収録した。

    1. Nexis
      被告出版社は自社の定期刊行物に掲載された記事全てのフル・テキスト(被告出版社が印刷用に作成した、ページ・レイアウト用コードを含むテキストファイル)をNEXISに引渡す。NEXISは電子的ファイルを使って、著者名、記事が掲載された出版物名・ページ等の情報と共にデータベース化し、オンラインでユーザに提供する。検索結果を表示する際には、収録媒体、語数、著者の情報も画面上に表示される。
    2. The New York Times OnDisc
      NYT社、NEXIS、UMIの3者間契約により、NEXISはNYTの記事データを集積した磁気テープを各月末にUMIに提供する。UMIはこれを元に検索用にコード化し、CD-ROMを作成する。操作はNEXISとほぼ同様で、検索結果は著者、NYT紙の掲載日・ページのヘッダと共に表示される。
    3. General Periodicals On Disc
      NYTのSunday Magazine及びBook Review等をスキャンし、イメージデータで収録。ユーザは同梱のテキスト・ベースのCD-ROMで要録を検索して見たい記事を特定し、本CD-ROMでその記事を検索する。
  3. 当事者間の紛争

    被告の出版物が著作権法第101条にいう「集合著作物」に該当することは、全当事者が認めている。集合著作物に関する著作権については、第201条(c)が規定。

    [原告の主張]

    • 小切手や契約上の文言は、本件で問題とする電子的複製の類を予期するものではなく、電子的複製のための権利の譲渡はない。
    • 被告出版社は、第201条(c)所定の狭い「特権(privilege)」を越え、電子的被告による複製のために原告の記事を売った。特に、本件で問題となる技術は、被告出版社の集合著作物を改訂(revise)するものではなく、原告の個々の記事を利用(exploit)するものである。また、第201条(c)は電子的改訂版を許す趣旨ではない。

    [被告の主張]

    • 第201条(c)所定の特権に限定されない。原告はその記事に関する電子的権利を「明示的に譲渡」した(Time, Newsdayの主張。小切手や契約所の「電子的記録保管所に」「最初に出版する権利」に依拠)。
    • 仮に明示的な権利の譲渡が無かったとしても、原告の記事を電子的に複製する慣行は、著作権法第201条(c)により許される。本件で問題となる技術は単に集合著作物の改訂版を作るに過ぎず、個々の記事に関する原告の権利を侵さない。

2. 連邦地裁の判断

結論として、被告によるsummary judgment(原告の請求棄却)の請求を認容する。

I. 序
summary judgmentの要件(略)

II. 契約による権利移転の有無

  1. Newsday
    著作権法第204条(a)上、著作権の譲渡は、権利者が譲渡の意思を証する署名入り書面でなされることが必要。著作権譲渡の意思を記す条件は、1行の形式的な記述でも良いが、明確でなければならない。

    [Newsdayの主張]
    原告らの記事の対価支払いのために振り出した小切手の裏面(特に、「電子的記録保管所に含める権利」)に、電子的な権利の譲渡があったとする根拠がある。

    [原告らの主張]
    Newsdayが原告らの記事をNEXISに送った時点では、原告は未だ小切手を受領ないし現金化していなかった。従って、仮に小切手の記載により権利譲渡が有効に行われ得るとしても、その譲渡は被告の侵害の言訳にはならない。

    [Newsdayの反論]
    譲渡の「ノート又はメモ」があれば、先の口頭の合意が遡って有効となり得る。

    [地裁の判断]
    要するに、Newsdayの小切手の記載により、原告らの記事に関する重要な電子的権利の、曖昧さがなく且つ時宜的な譲渡が有効となったと判断する根拠はない。

    Newsdayの反論は規範に関しては正しいが、事実においてこれを支持するものがない。記録中には、Newsdayの企図する「理解」が原告らにも共有されていたと結論するための根拠はない。原告は全て、オンラインの使用を許諾する意図を否定する。

    更に、小切手の記載そのものが曖昧であり、原告らの記事に関する電子的権利の明示的譲渡の反映と解することはできない。「電子的記録保管所」の最も合理的解釈はNEXISを含まないとする原告の主張は説得的である。原告が提出した専門家の証言録によれば、、記録保管所と、商業的なデータベースとは、異なる種類の素材を含み、目的も異なる。また、Newsdayは社内用に自身の「電子的記録保管所」を保有しており、Newsdayは小切手の記載中で単にそのような「記録保管所」のことを指していた、と解するのが、少なくとも尤もらしい。いずれにせよ、小切手の記載がNEXISにまで及ぶ権利を示唆するものと原告が理解していた、或いは理解していた筈であるとする証拠はない。

  2. Sports Illustrated
    [Timeの主張]
    TimeとWhitfordとの契約の第10条(a)に基づき、Whitfordの記事を「最初に出版する」権利を取得した。この文言は「メディアに基づく制限」を含んでおらず、従って「最初に出版する」権利はNEXISにも及ぶと解されるべき。

    [地裁の判断]
    Timeが引用する先例は、契約条項が新たな技術的使用を含むに足る程に広範である場合には、例外を作り交渉する責任は許諾者側にある、との前提に立つ。しかし、その先例中には、「最初に出版する権利」等の時間に関する制限を課したものはない。合理的に考えて、「最初に」記事を出版する権利が、あらゆるメディアにおいて記事を「最初に」出版する権利として拡張されるとは解されない。Whitfordの記事は「最初に」印刷物で出版されており、45日後の当該記事の電子的再出版は「最初に」であったとは言えない。

III. 著作権法における集合著作物

以下、電子的被告が著作権法第201条(c)により許される「改訂版」を作ったか否かにつき検討。

  1. 第103条(b)における集合著作物及び派生的著作物
    第103条(c)の下では、派生的著作物・集合著作物の創作者が、既存の保護される素材を無断で使うことは、当該既存素材に存する著作権を侵害する。

    (過去の議論の混乱を紹介。派生的著作物・集合著作物の創作者は、当該派生的著作物・集合著作物に含まれる既存素材に関して「新たな財産権」を有し、それらを再利用できる、という議論は誤解に基づくものと説明。)

  2. 第201条(c)における被告の「特権」
    第201条(c)第1文は、第103条(b)の内容を本質的に反復する。仮に第201条(c)が第1文で終わっていたならば、本訴訟では原告が勝訴したであろう。しかし、同第2文は、第103条(b)の基本線を拡張し、集合著作物の創作者に対して「当該の集合著作物、当該集合著作物のあらゆる改訂版、及び同じシリーズの後続のあらゆる集合著作物の一部として、寄与著作物を複製し頒布する特権のみ」が与えられたものと推定する。ここでの問題は、「特権」の正確な範囲である。
    1. 移転可能な権利としての特権
      [原告の主張]
      第201条(c)の「特権」は、狭く画された非排他的ライセンスに例えられる。かかる限定的な許諾は、著作権法上の譲渡、排他的ライセンスその他の殆どの移転とは異なり、移転できない(法第101条「著作権の移転」の定義に言及)。被告出版社は集合著作物について著作権を保有するのであるから、電子的被告は、被告出版社の許諾を得て問題の定期刊行物の改訂版を作っているのだとしても、著作権侵害の責めを負う。

      第201条(c)と第201条(d)を並べてみた時に、第201条(d)(2)が「権利」の移転を規定しているという事実は、前項で特定される「特権」は移転できない意味であるとしか解釈できない。

      [地裁の判断]
      原告の主張するアプローチは第201条(c)と(d)との関係を歪める。

      第201条(d)(2)は「権利」ばかりでなく、権利のあらゆる「部分(subdivision)」についても述べており、移転ないし「法の作用」による「全部又は一部の」著作権の移転を認める。「法の作用による」著作権の部分的移転の可能性についてのこの認識は、正にかかる移転が、出版社に所定の「特権」を与える第201条(c)において有効となるという事実に由来する。言い換えると、3つの規定は連携して機能する。第201条(c)は原告らの著作権を「部分的に」被告らに移転し(これは第201条(d)(1)により許される)、従って、第201条(d)(2)により、被告らは、取得した権利の「支分権」について完全な権原を有する。

      「特権」の語は、第201条(c)においては、編集著作物の創作者が当該集合著作物を構成する個々の寄与著作物に関して限定的な権利のみを有することを強調するために用いられている。集合著作物の創作者が、自己の保有する「特権」の行使において制限を受けることを意味するものではない。従って、電子的複製が第201条(c)における改訂版に当たる限りにおいて、被告出版社は電子的被告に対しかかる改訂版の作成を許諾することができる。

    2. 複製、改変及びコンピュータ技術
      [原告の主張]
      第201条(c)の立法者の意図は、集合著作物の創作者は、当該集合著作物が最初に刊行されたのと同じ媒体にて、当該著作物を改訂し複製できるに留まる、というものである。

      [地裁の判断]
      以下に述べる理由により、同条の用語法、立法経緯、改訂の性質において、原告の主張を支持するものは認められない。

      1. 展示権(display rights)
        [原告の主張]
        集合著作物の一部として記事を複製する権利は、他の主要な権利を伴わないので、コンピュータ技術の使用を必然的に除外する。第201条(c)は、第106条所掲の権利のうち、複製権にのみ言及し、展示権には触れていない。このように明示的に「展示」権を付与していないことは、被告の立場にとって致命的である。著作物はコンピュータ画面上に「展示」されない限り、電子的に複製できないからである。

        [地裁の判断]
        集合著作物の著作権者に及ぼされる「複製」権について、原告は十分に顧慮していない。「複製」は別途定義されている訳ではないが、第106条上、複製により「コピー」ができることは明らか。「コピー」の語は、広範かつ将来を見越した定義を持つ。従って、著作物を複製する権利は、当該著作物のコピーを作る権利を必然的に含み、かかるコピーがコンピュータ画面から「知覚され(perceived)」得るということを前提とする。

        [原告の主張]
        立法経緯に鑑み、裁判所は「展示」する権利を第201条(c)に読み込むことは許されない。第201条(c)の早期のドラフトでは、集合著作物の後続の版において、個々の寄与著作物を「複製」及び「頒布」する特権の代わりに、「出版する特権」を付与していた。更に、「出版」は、更なる頒布、公衆実演、公衆展示...の目的による」著作物の公衆頒布を含む。最終版の第201条(c)から「出版」の語が無くなったことは、展示する権利がないという意味に解すべき。

        [地裁の判断]
        原告の主張の問題点は、第201条(c)における「出版」の語を置換したことが、必然的に当該単語ばかりでなく、その語が内包する権利をも斥けたことになる、という根拠の無い過程に基づいている、という点である。関連する立法経緯には、議会が集合著作物の創作者について当初想定された出版権を無くす目的で「複製し頒布する」という語に決めたとするヒントは無い。逆に、「複製し頒布する」の語は、「出版」の定義における「複製物の頒布」の言い換えであろうが、正にこの権利を確保する意図であった。

        要するに、1976年法の文言及び関連する立法経緯の双方とも、「一定の状況」において、集合著作物の創作者に展示する権利を付与する意図が明らかである。従って、被告らがその集合著作物の「改訂」版において原告らの記事を「複製」及び「頒布」する特権の範囲で行動する限り、そられ個々の寄与著作物の付随的展示は許される。

      2. アップデートされた百科事典
        [原告の主張]
        被告らの複製及び改訂に関する権利を狭く解すべきことは、立法経緯に含まれる改訂の例によっても根拠付けられる。議会の報告書によれば、
        「本条項の文言の下では、出版会社は、その雑誌の或る号の寄与著作物を後の号で再度印刷でき、1980年版の百科事典の記事をその1990年改訂版で再印刷できる。出版社は寄与著作物そのものを改訂したり、新たなアンソロジーや全く別の雑誌やその他の集合著作物に含めたりすることはできない。」
        この百科事典の例の控えめな射程に鑑みれば、改訂版の語の範囲は狭く、新たな技術や、フォーマット・構成についての重要な変更を含むものではない。

        [地裁の判断]
        原告が百科事典の例を外延を画するものと解した点は誤り。第201条(c)の文言は、原告が立法経緯から推論する類の、媒体による制限を支持しない。逆に、集合著作物の「あらゆる改訂」は、「当該集合著作物」の改訂版である限りにおいて、許される。

        [原告の主張]
        電子的改訂につき明示に禁止していない理由は、第201条(c)起草当時、電子的データベースは「議会の意識」の一部ではなかったからである。

        [地裁の判断]
        議会はかかる技術につき気付いていたが、その意味するところを完全には理解していなかった、と言う方がより正確である。そのような事項につき無知であることを認識しつつ、1976年法採択当時、議会は、「情報を蓄積、処理、検索又は転送できる自動システム」が著作権において持つ意味につき決定することを明示的に回避したのである。議会は、かかる発展途上のコンピュータ技術については更なる調査が必要と決意し、CONTUによる事態の調査を行った。CONTUが1976年法は「機械可読形式の著作物に望ましい実質的な法的保護」を与えると結論した後、1980年に、議会は元の第117条を廃止した。

        [原告の主張]
        このような立法経緯、特に、当初、議会がコンピュータ技術の領域に立ち入ることに消極的であったことは、第201条(c)が集合著作物に関する電子的な権利を被告らに付与する意図ではなかった証拠である。

        [地裁の判断]
        原告らが引用する立法経緯は、寧ろ原告らの議論を弱める。議会が当初第117条を通過させる必要を認識したという事実は、かかる明示的な制限がなければ、第1976年法の条項が全ての種類の発展途上の技術を含むと推定されてしまう、ということを強く示唆している。第117条の廃止により、コンピュータについてはこの推定が復活した。従って、集合著作物の電子的「改訂版」の可能性を閉ざす理由は残らない。

        第1976年法は、メディアに関して中立的であることを念頭において作られた。同法の主要な用語は、発展途上の技術に適合するよう定義されている。同様に、同法の規定は、著作権保護を既存技術に限定していない。元の第117条という異例な規定は、メディアに中立的なアプローチが発展途上の技術に上手く適合できることを確保するために、第1976年法の用語がその役割達成に完全に叶っていると最終的に決定する前に、議会が措置を講じた、ということを示すに過ぎない。

        要するに、第201条(c)の立法経緯に示された1例を根拠に、議会が「複製」及び「改訂」の語を以て、1976年著作権法の特徴であるメディア中立性から大きく外れることを意図した、と単に仮定することは理由がない。

      3. 改変という語の「通常の意味」
        [原告の主張(と裁判所が解するもの)]
        「改訂版」の語は、普通の意味からすれば、オリジナルと殆ど同じでなければならない

        [地裁の判断]
        著作権法との関連では、そう自明ではない。1909年法の「改訂」と考えられているが、1976年法は米国著作権法の顔を全く変えてしまった。

        少なくとも、著作権法は、「改訂」は既存著作物を相当程度変更し、新たなオリジナルの創作物が生じ得ることを企図している。実際、「派生的著作物」は、それ自体「オリジナルな著作物」であり、既存著作物への「編集的改訂」により作られ得る。従って、百科事典の改訂版についても、前の版とは「単に些細でなく、相当」程度異なり得る。もし「編集的改訂」が著作物をこの程度変形し得るのであれば、第201条(c)のより広い「あらゆる改訂」の文言は、更に大きな変更の可能性を示す。

        第201条(c)の構造及び文言は、許される改訂のパラメタが、原告が考えるより広いことを確認する。第201条(c)は出版者に対して、個々の寄与著作物を、最初に掲載された集合著作物の「あらゆる改訂版の一部として」「複製する」ことを認める。個々の寄与著作物の「複製」のみを認め、寄与著作物の改訂を認めなかったことにより、議会は、出版者が個々の記事の内容の形態を変え又は変更することを禁じる意図であった。議会は明らかに、出版社に重要な余地、即ち、その集合著作物の「あらゆる改訂版」を作成する余地を認めたのである。立法経緯もこの解釈に合致する。

        要するに、第201条(c)は、「特権」、「複製」、「あらゆる改訂」等の語を用いることにより、出版社に重要な制限を課していない。特権は移転可能であり、複製はあらゆる媒体で起こり得、「あらゆる改訂」は大幅な改訂を含み得る。第201条(c)が出版社に課す主要な制限は、出版社は特定の原告の記事を、同記事が元々掲載された「当該集合著作物」の改訂版の「一部として」複製することのみを許されるという事実にある。

      4. 「当該集合著作物」の改変
        [地裁の判断]
        第201条(c)の「あらゆる改訂」の文言は広いが、新たな著作物は、公平に見て「当該集合著作物」の改訂版と言えるためには、既存集合著作物の1バージョンであると認識可能でなければならない。個別の寄与著作物からなる或る集合著作物は、その集合著作物に変更を加えなければ、一体どうやって改訂できるのか? この疑問の解決は、集合著作物は、個々のオリジナルな寄与著作物から成るが、単に部分の合計に留まらず、自身のオリジナルな特徴を有するという事実にある。従って、集合著作物について、当該著作物中の個々の寄与著作物の内容を変更することなく、当該集合著作物のオリジナルな全体を変更することにより、改訂することが可能である。

        被告らは、原告らの記事を「新たなアンソロジー」や「全く異なる雑誌又はその他の集合著作物」に含めることは許されておらず、原告らの記事が最初に掲載された集合著作物の改訂版に含めることのみが許される。しかし、被告らがその新聞又は雑誌のオリジナルな選択及び配列を変更すれば、改訂版とは認められなくなるリスクを冒すことになる。従って、第201条(c)の要件を満たすためには、被告らがその集合著作物を如何に変更しようとも、オリジナルな選択であれオリジナルな配列であれ、何らかの重要なオリジナルな側面を残さなければならない。

  3. 第201条(c)の適用
    [原告の主張]
    仮に、理論的には集合著作物の電子的改訂版が可能であることを認めるとしても、本件で問題となる技術は、集合著作物ではなく、個々の記事を扱うものである。例えば、検索すると、その号全体ではなく、個々の記事の全文が出てくる。電子的被告は、ブール式検索を容易にするため、個々の記事にコードを加える。個々の記事は、システム中の区分けされたファイルとして格納され、多数の他の出版物からの無数の記事と共に存在する。更に、ユーザの便宜のため、記事には、著者及び書誌情報を特定するヘッダが付けられる。被告らは、その集合著作物を維持していないばかりでなく、原告らの個々の寄与著作物を電子的に利用する目的で、その集合著作物を積極的に解体している。
    1. 被告の定期刊行物のうち、電子的に保存される側面
      [原告の主張]
      NEXIS及び問題のCD-ROMは、被告出版社の集合著作物のオリジナリティを構成する全てを除去するものである。

      [地裁の判断]
      原告の主張を評価するためには、先ず、被告の集合著作物のオリジナルな特徴を特定する必要がある。被告らの出版物が素材のオリジナルな選択又は配列を示す限りにおいて、裁判所は次に、これらの特徴が電子的に残されているか否かを判断しなければならない。この2段階のアプローチは、事実的編集著作物物に関する著作権侵害訴訟において採用される分析に近い(が、同じ分析でも、結果(侵害の有無の判断)は逆になる)。

      問題の定期刊行物が素材のオリジナルな選択又は配列を示しており、且つ、そのオリジナリティが電子的に残っているならば、電子的複製は、被告出版社の集合著作物の許される改訂版であると考えられる。他方、電子的被告が問題の出版物のオリジナリティを残しておらず、単にその構成部分を利用するに過ぎない場合には、当該構成部分に関する原告らの権利が侵害されたことになる。

      被告出版社の定期刊行物の決定的なオリジナルな側面の1つは、当該刊行物に含まれる記事の選択である。電話帳とは大きく異なり、新聞や雑誌に含めるべき記事を選択することは、高度に創作的な行動である。印刷に適する全てのニュースを特定することは、特定地域の全ての電話番号を集めることほど、機械的な作業ではない。

      被告出版社の記事のオリジナルな選択は、電子的に残されている。記事が問題のデータベースに現れるのは、被告出版社が以前に、その記事が読者に受けるだろうと編集上の決定をしたかたらである。その結果、問題の技術は、被告出版社により選択された記事の「一定割合」に留まらず、NYTやSports Illustratedの各号の全ての記事をコピーする。

      [原告の主張]
      各号の全ての記事の全文が電子的に利用可能であることは認めるが、その記事は、他の定期刊行物の他の号に掲載された、無数の他の記事と共に格納されている。

      [裁判所の判断]
      このように大きなデータベースに埋め込むことは、被告出版社のオリジナルな選択が失われることを自動的には意味しない。電子的被告は、原告の記事と、その記事が最初に掲載された定期刊行物との間の関係を際立たせるため、多くの手段を講じることにより、このリスクを回避している。例えば、ユーザは、特定の定期刊行物で刊行された記事のみからなるデータベースを通じて原告らの記事にアクセスする。更に、電子的技術は、被告出版社の記事のオリジナルな配列を完全にコピーするばかりてなく、被告出版社のオリジナルな選択がオンラインでも明らかに残るよう、記事にタグを付す。

    2. 被告の定期刊行物のうち、電子的に保存されない側面
      [原告の主張]
      電子的複製は、合理的に考えても、被告出版社の定期刊行物の改訂版とは考えられない。各定期刊行物の重要な要素が電子的には残っていないからである。また、裁判所は失われた要素ではなく、電子的に残された要素に着目している。特に、イメージ・ベースのCD-ROMは別段、問題の技術は、被告出版物の写真、見出し、ページ・レイアウトを複製しない。

      [地裁の判断]
      技術的複製物と被告の出版物との間のこの重要な差異に鑑みれば、原告の主張には一定の理がある。問題の出版物についてオリジナルであるところの多くが、オンラインやディスク上では明らかでない、ということは避けられない。しかし結局は、被告出版社の定期刊行物へのこの変更は、「改訂」に係る分析にとって周辺的な関心事でしかない。

      その性質上、「改訂版」とは必然的に、元となる著作物を変更したバージョンである。前述の通り、第201条(c)は集合著作物に対する大幅な変更さえも許している。従って、当裁判所にとっての重要な問題は、電子的複製物が、被告出版社の集合著作物と異なるか否かではない。電子的複製物が、被告の定期刊行物の改版であると認識できるに足るものを残しているか否か、が問題である。

      集合著作物は典型的には、素材の選択及び配列についてのみオリジナリティを有するので、集合著作物の改訂版においては、選択又は配列の何れかが変更され又は失われるであろうことが予測される。本件では正にこれが生じた。NEXIS及びThe New York Times OnDiscは、問題の定期刊行物中の写真やページレイアウトを欠いており、出版社被告の定期刊行物中に含まれる素材のオリジナルな配列をコピーしていない。しかし、記事についての被告出版社のオリジナルな選択を残すことにより、電子的被告は、出版社の集合著作物のオリジナルな要素の1つを残すことができた。言い換えると、NEXIS及びUMIのCD-ROMは、被告出版社の新聞・雑誌として認識できる改版を含む。従って、第201条(c)において、被告はその集合著作物の「あらゆる改版物」を作ることができた。

      更に、先に検討した編集著作物の侵害事件の文言中にも、この結論を支持する箇所がある。編集著作物がオリジナルな選択とオリジナルな配列の双方を有する場合、オリジナルな配列が害された場合であっても、実質的類似性が認められる。従って、電子的データベースは記事についての被告のオリジナルな選択を残しているので、法律問題として、当該データベースは被告の定期刊行物と「実質的に類似」している。

      仮に電子的被告が被告出版社の許諾なく定期刊行物のデータベースを作成したとすれば、被告出版社は電子的出版社に対し、著作権侵害を主張することができるであろう。この電子的バージョンが、少なくとも本件において被告の集合著作物の「あらゆる改訂版」に該当することなく、ある場合には当該集合著作物と「実質的に類似」である、という結論は導くことができない。

    3. 第201条(c)と著作者の権利
      [原告の主張]
      本件において被告勝訴の判決が出るならば、フリーランスの著作者を1976年法上の重要な保護の無い状態に置くことになる。この結果は、第201条(c)の通過及び不可分性の除去が個々の著作者にとって重要な勝利を意味したという事実と調和しない。

      [地裁の判断]
      原告は本判決の影響を誇張している。電子的データベースは被告出版社の集合著作物の重要な創作的要素を保持している。他の多くの場合において、第201条(c)は出版社による、個々の記事の利用を妨げるべく適用されるものと考えられ、著作者は依然として同条項の下で保護されている。

      要するに、原告らの主張は、当裁判所の判決により出版社に許される棚ぼたを第201条(c)の立法者は意図していなかった、という点にある。これはそうかもしれない。仮に今日の結果が意図しないものであったならば、それは、現代技術が改訂版についてこのように金の成る市場を生み出すであろうことを議会が完全には予期できなかったからに過ぎない。原告は問題の電子的複製が被告の集合著作物の改訂版を生み出さないと強く主張するが、原告の真の不満は、現代技術により、改訂に関する権利が、著作権法の特定の用語の検討時点で予期された以上に遙かに価値のある状況が生み出された、という事実にある。もし議会が、今日の価値ある電子情報システム時代にあって、第201条(c)がもはや初期の目的に資さないという原告の主張に同意するならば、議会は勿論より適切な結果を達成するために同条項を自由に改正できる。しかし、これがない限り、裁判所は、仮に議会が現在知っていることを当時知っていたとすれば、如何に異なることをしたかという仮定に基づいてではなく、第201条(c)をその文言に従って適用しなければならない。

3. 私見及び所感

4.日本の著作権法判例紹介

以上



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