こちらはWhat’s Legally New?ではないが…AIで生成した画像を無断利用した人を千葉県警が摘発、書類送致した。報道も多数なされている。AI「で」生成、というのは、人間「が」AIを道具として使って生成したということと理解すればよいだろうが、賢くなった道具を人間がどのように使ったのかによって、生成物が著作物と評価されるかどうかが決まる。どのような使い方をすると、人間が創作したことになるのかは、文化庁の示した「考え方」や、専門家のご意見もいろいろと目にするが、現状では定まってはいない。人間が筆で絵を描く、つまり賢くない道具を使ってすべての制作行為が人間に委ねられている場合よりも、より難しいことになる。対象となった件の画像も報道されておりネットで見ることができるが、なるほど、込み入った複雑な画像である。私個人の感想としては、立派にアートとして通用すると思うし、作った方はその作品に対して愛おしいと思っていることだろう。でもアートとして評価されることと著作物であることとはイコールではないし、愛おしくても勿論、著作権で保護されるわけでもない。プロンプトで何回も指示を出したということが千葉県警の判断の決め手になったようだが、プロンプト指示は「光の当て方を変えて」とか「もっと写実的にして」だったと報ずるものもある。それだけだったのかどうかは分からないし、報道の仕方の問題もあろうが、この例のようなプロンプトを入力してAIが出力した場合に、それは人の行為だとしてその生成物の創作性を認めることができるのかは疑問なしとしない。同じ報道で、プロンプト入力は70回とも40時間ともされているが、単に回数や時間の多さでもないと思う。もともと創作性というものは、曖昧なものである。それに輪をかけて、AI生成物における人間の行為の評価が創作的であったかどうかは難しそうだ。

仮に起訴、裁判となれば、プロンプトの具体的な内容について審理されるのだろう。人間がどのようなプロンプトでどのようにAIに指示をしていけば、人間の創作行為として認められるのかは、多くの事例が積み重なっていくことで、曖昧さが無くなっていくのだと期待したい(裁判の当事者には大変に申し訳ないが)。管見では、この事件が人間の行為とAI生成物の創作性の関係性が争点となる嚆矢となるが、いきなり刑事であったのは良かったのか悪かったのか。

こうした曖昧さのある世界では、刑事裁判になる可能性まで考えるとより一層、それが著作物かどうかは別として他人が作ったものを利用することによって生まれるリスクを回避しようとすれば、著作権者と名乗る人に無断では利用しないことにするに如くはなく、利用するならせめてお金を払いましょうということにならざるを得ない。いっそお金で解決できるのなら良いという判断もあることだろう。反対に、それが著作物であるのか否かをギリギリと詰と詰めて、最後まで白黒をつけなければいけない場合も、もちろんある。著作権の曖昧さがきっかけとなって起こったことが、実は私の人生を決めたということもあり、ありがたくもあり、憎くもあるのだが、詳しくは書けない。

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November 11, 2025 • 4:34PM