親しくして頂いている先輩の奥様の訃報が届いた。突然のことで驚いたが、先輩へのお悔やみと慰めの言葉をかけたいという気持ちからお通夜に参列させて頂いた。学校の先生をされていた故人に、卒業式のようなお通夜にして欲しいというご希望があった由で、喪主の先輩からの卒業証書の授与、ご友人代表と妹さんからの送辞、参列者による合唱、そして予め故人が残しておかれた答辞をご長男が代読されるという式次だった。一般的な、お坊さんが来て読経をしてご焼香するという式次とも趣が異なり、その場にいる者は、より悲しみを共感したのではないかと思う。式次の間は、ご遺族はもちろん滂沱の血涙を流され、貰い泣きで参列の皆は涕涙雨の如し。そして、翌日のご葬儀は終日、涙雨がそぼ降った。

 最近は、年を取って涙脆くなった(前頭葉の衰え、とも)と感じる。映画やドラマを見て、音楽を聴いて、送られてくる孫の動画を見てさえ、涙が出てくることが多くなった。先日行われていたオリンピックの間も、しばしば熱涙が目から溢れた。首尾よく競技を終えて喜びを爆発させている姿にはもちろん(そこまで精進してきたことを称えて。メダルを取ろうが取るまいが選手達の精進には頭が下がる)、残念な結果に悔し涙を流す姿に(いやいやよく頑張った、という感情とともに)、競技者同士がたたえ合う姿に(本当に心が洗われる)、大怪我を押して挑む姿に(平野歩夢選手、すごいよ貴方は)、また競技者やチームについて語られるストーリーに共振して(りくりゅうペア万歳)・・・。まだまだあったが、思い出すだけで目が潤む。

 こちらは感涙を流しているのにも関わらず、オリンピアン達に、SNSで心無い言葉を投げつける輩が相変わらず多いという。選手たちは時に落ち込み、涙することもあるそうだ。家で、ぼそっと匿名で誹謗中傷するなんて姑息だと呟いたら、家人から、「あなたも奇天烈大統領のことをさんざん言っている」と言われてしまった。誹謗中傷の定義には当てはまらないとも思うが、聞かされている家人の気分を害していたのなら申し訳ないと謝るとともに、あの奇天烈大統領が、誹謗中傷ごときで凹むだろうか、涙など流すのだろうか、流すとしても支持者にアピールするための空涙に違いない、とも思った。謹んで過ごしていたい涙雨の日に、聞きたくもないのに耳に入った、奇天烈大統領の一般教書演説は下の下。相変わらずの自画自賛で酷かった・・・これは、誹謗中傷だろうか。

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February 9, 2026 • 3:57PM