時代をずうっと遡ってみれば、人類は太古より道具を手に入ることで発展してきた。道具によって、人の仕事であったものが人の仕事ではなくなるということは、人類史において、そんなに特別なことでもなく、その流れは必然のようだ。ロボットによる人の仕事の代替もどんどん増えてきた。いやいや、AIは人類史上でレベルの違うことを惹き起こしているのだ、という意見もあるだろうが。

道具の登場によって、それまでの仕事を奪われることとなる人に寄り添う気持ちは勿論、仕事を変わらざるを得ないなら様々な支援を検討することはとても必要なことだが、その原因となる道具やその道具を使う人を批判してみても歴史の必然のようなことを止めることはできない。できてしまった道具を、今さら無かったことにすることもできまい(たとえどこかの国がヤ~メたと言っても、別のどこかの国はどこ吹く風だろう)。

生成AIが創作という世界にもたらすインパクトについて、私如きが軽々しく書くようなものではないとは思いつつも、私は人が手で(文字通り手でアナログに)創作するアートにも引き続き期待して感動したいし、生成AIを便利な道具の一つとして使いこなしたアートにも期待して感動したい。できることなら、趣味の写真でAIの組み込まれたカメラを使って、人に感動を与えるような(いや、娘にホ~と言われるだけでよいのです)写真を制作したい。人を甘く見るべきでなく、人は道具を得て常に新しいものを創造していくのだと信じたい。 <なお、生成AIと写真の関係についての考察は、SLR創刊号の山神先生の論文をぜひお読み下さい>

 

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