暑い。愛宕山は蝉時雨。言葉にすることでそのストレスは抜けるのか、いやむしろ、言霊ではないが口にするとなお暑く感じるのか。

先の参院選では、皆さんもそうだと思うが、各政党の党首や候補者が並べる政策を比較検討して一票を投じた。その主張の中には、正直、「こりゃ某国大統領の真似か」と思うようなポピュリズム的なものも見受けられた。根拠となる事実が不明な「こりゃ陰謀論だろう」と思うものもあった。選挙後の報道などを見ていると「それ、投票前にちゃんと言えよな」と思ったものもある。過激に聞こえた主張は「キャッチコピー」だと嘯く党主もいる。日本の世論を分断しようという悪意・害意のある外国からの動きもあったように報じられている(自ら検証できないが)・・・某国等と同じようなことが起きている? 自分はポピュリズムには踊らされないぞと思いつつ、その実、どうだったか。ポピュリズムだろうが何だろうが、国民はその言葉を信じて一票を入れるしかない。票を投じた政治家が、その言葉を信念から吐いていたのか、そしてちゃんとその言葉通りに政策を進めていこうとするか(そして、その結果、何が起こるか)は、これから自ら検証していくことが必要なんだろう。政治家に限らないことだが、国の方向に大きく関わる政治家はなおのこと、吐いた言葉への責任は負うべきだし、せめてその努力をしてもらいたい(自分の事は棚に上げて?)。

5月のことだが、「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた、ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が亡くなった。どんな人物だったのか改めて興味を持ったので、「ホセ・ムヒカの言葉」[双葉社。佐藤美由紀著、翻訳協力者として山下順子、打村明、東内優輝]を読んでみた。ウルグアイ国民にとって大統領としてどうだったのかということはともかく(引退時に65%の支持があったというから推して知ることができるが)、ムヒカ氏の発した言葉には、考えさせられるものが多かった。その言葉を同書から引用させて頂く。

「世界で一番貧しい大統領 The world's 'poorest' president」は、BBC が配信記事に付けた見出しだが、上記書とこの配信記事を読むと、貧しいというより無用な消費はしない、質素で清廉な人だったということが分かる。そして凄まじいその人生も。詳らかには知らなかったが、持続可能な発展と世界の貧困をなくすことをテーマとする国連の「持続可能な開発会議」での2012年6月20日のスピーチは、「もっとも衝撃的なスピーチ」と言われ、会議で満場の喝采を浴びるとともに、世界から注目されたという。ご存知の方には今更感があることだろうが、スピーチの全体は打村明氏のブログで読むことができるので、ご存知でない方には一読をお薦めしたい。一部を引用すると、
「現代に至っては」…「人類が消費社会にコントロールされているのです。」…「人がもっと働くため、もっと売るために『使い捨ての社会』を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。」…「これは、まぎれも無く政治問題ですし、問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければならなりません。」…「根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。」…。

またこのスピーチの中で、先人の言葉を引いて「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」…とも。環境問題の根源は尽きることのない欲望が生み出す過剰消費社会、つまり、まずは個々人(私たち)にあると。そしてその過剰消費社会をコントロールできないのは政治問題だと言っている。  <続く>

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June 30, 2025 • 4:47PM